Will Kymlicka and Magda Opalski (eds.), Can Liberal Pluralism Be Exported?: Western Political Theory and Ethnic Relations in Eastern Europe. ウィル・キムリッカの名はロシア・東欧研究者の間ではあまり広くは知られていないが、政治理論・法哲学などの分野では世界的に著名なカナダの研究者である(1)。その理論の概要を敢えて乱暴にまとめるなら、基本的にリベラリズムの立場に立ちつつ、従来のリベラルが軽視しがちだった集団的アイデンティティの問題を正面から見据えることでリベラリズムを豊富化しようとするものといえるだろう(2)。種々の民族・エスニシティ論、共同体論、フェミニズムなどからの挑戦を限定的に吸収しつつ、リベラルな多文化主義論を構築するのが彼の課題である。この試
恥ずかしい話だが、私は近代日本史について――ましてそれ以前の時代についてはなおさら――あまりまともに勉強したことがない。関心がないわけではなく、むしろ非常に大事なテーマだと感じてはいるが(1)、何分にもあまりにも研究史が厚いので、恐れをなして、敬して遠ざけてきたというのが実情である。たまに、いくつかの関連書を読んで啓発されることがないわけではないが(2)、これまでのところ、それは至って断片的・非系統的なものにとどまっている。 そういう中で、ともかくも多少は近代日本史について基礎知識を得ておこうと考えて、非専門家にも読みやすそうに見える本書をひもといてみた次第である。近代日本史についてきちんと勉強したことのない私は、著者である三谷博についても、名前だけはずいぶん前から知っていたが、著作を読んだことはこれまでほとんどなかった。近年では、いわゆる歴史教科書問題に関連して活発に社会的発言をしている
1. はじめに 終戦の年から50年以上の歳月を経た今、このようなテーマを取り上げる必要があるのかという考えを持つ人の数は少なくないだろう。日本でしばしば耳にする言葉通り、「済んだことは水に流そう」式に従うなら、今回の発表は余り意味がない亊である。また、日本の国際化を必死に推し進めようという人から見れば、そのような過去の出来事に目を向ける必要はもはやないだろう。更に、もうすでにシベリア抑留の体験記は百冊以上存在するのに、今さらこのテーマを扱う必要がどこにあるのかと言う人もいるだろう。 しかし本当にそうであろうか。また、それをよしとすべきであろうか。自分の身内(父、夫、妻、息子、兄弟、姉妹など)の中で抑留された人、あるいは二度と帰らぬ人となり、未だに消息不明の多くの人々のことを考えると、「もう過去の出来事だ」と言って済ますことができるだろうか。 この50年以上の間に日本政府はこの実態
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