前7000年になるとギリシアは新石器時代に入り、この時代は土器の様式や放射性炭素年代測定法による測定により、初期、中期、後期、末期の四段階に区分されている。この新石器時代は過去には無土器時代があり、農耕も自主的に発生したとする説が唱えられたが、この説は1980年代に疑義が呈され、ギリシアの新石器時代は土器などの文化を含めて西アジアより伝播したと考えられる。この時代に至ると、大麦、小麦(アインコルン、エンマーコムギ)を基本穀物としてレンズ豆などが栽培されるようになり、さらには山羊、羊、豚、牛、犬などの家畜[# 2]も扱われるようになった。この時代のギリシアは初期農耕文化の広がる北バルカン半島北方の内陸部と密接な関係を持ち、豊富な水と肥沃な土壌が存在する地域であるギリシア北方が先進地域で、テッサリアやマケドニアの平野[# 3]が初期農耕が行われ、ギリシア南部ではさほど集落の数も見られない。そし