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ブックマーク / www.style.fm (57)

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第457回 「逆襲のシャア友の会」(後編)

    アニメージュ1991年4月号(vol.154)の『機動戦士ガンダムF91』特集は自分にとって力の入った仕事だった。富野作品の素晴らしさを世に示したかったし、自分の中で富野作品に決着をつけたかった。前回も触れたように特集は4部構成で、PART1は編の画を使って『F91』の紹介。PART2「THE富野イズム それは『ガンダム』における娯楽である」は、富野監督の作家性に突っ込んでいくインタビューだ。このパートではそれまでの富野作品の名場面も掲載。その写真選びは自慢できるくらいに頑張った。PART3「それぞれの視点で8人が語る富野イズム」では、押井守、田中芳樹、会川昇、星山博之、今川泰宏、高橋良輔、遠藤明範、ゆうきまさみといった方達に、富野監督と作品に語っていただいた。PART4「そして『F91』の富野イズム」では、『F91』の絵コンテから富野監督のカラーが濃い部分を抜粋し、それを解説。要するに

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第456回 「逆襲のシャア友の会」(中編)

    その当時から、僕には業界で「アニメファンとして、この人にはかなわない」と思っている人が3人いた。佐藤順一さん、井上俊之さん、庵野秀明さんの3人だ。佐藤さんはアニメの質のようなものをつかんでいたし、井上さんは超絶作画マニアだった。庵野さんはありとあらゆる意味で濃かった。冗談でも大袈裟でもなく、マニアの鑑のような人だった。先に断っておくが、今回と次回は「庵野さん」と「さん」づけで原稿を書く。いつものように敬称略にすると、しっくりこない気がする。 庵野さんとは何度か『逆襲のシャア』について話をしており、僕は多大な影響を受けている。最初に、庵野さんと『逆襲のシャア』について話をしたのが、アニメージュ1990年4月号(vol.142)の取材記事だったばずだ。『ふしぎの海のナディア』放映開始時の特集の一部で、5ページにわたるロングインタビューだ。その取材の終盤で、彼は「フィルムって、自分のもっている

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第455回 「逆襲のシャア友の会」(前編)

    『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』も、僕にとって特別な作品だ。世間での評価は別にして、富野由悠季監督の演出家としての到達点であり、代表作だと思っている。今回は自分と、この映画の関わりについて書いておきたい。 僕は、後に『逆襲のシャア』にハマり、人にその素晴らしさを語って歩く事になるのだが、公開前にはまるで期待していなかったし、実はロードショーにも行っていない。この映画が公開されたのは、1988年3月12日。『ガンダム』シリーズとしては、総集編ではない初の劇場作品である。内容としては第1シリーズ、『機動戦士Ζガンダム』に続くものであり、アムロとシャアの最後の戦いが描かれた。同時上映は『機動戦士SDガンダム』であった。 この頃、『ガンダム』シリーズのタイトルに対しても、富野監督に対しても、業界的な期待は非常に低かった印象だ。これも印象で話す事になってしまうが、ファンも『ガンダム』シリーズに対し

  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第47回 「'80年アニメーション ザ・ベストテン」

    今回は、「'80年アニメーション ザ・ベストテン」について、ほぼ記憶モードで書く。だから、思いっきり間違った事を書いてしまう可能性が高い。この原稿を書く前に、何人かの知人に「『'80年アニメーション ザ・ベストテン』の内容って覚えてる?」と訊いたのだが、みんな、ほとんど覚えていなかった。そのため、裏をとる事もできなかったのだ。ちょっと不安を感じつつ、この原稿を書いている。 「'80年アニメーション ザ・ベストテン」は、『サイボーグ009 超銀河伝説』に併映されたものだ。厳密に言うと、アニメではない。当時人気があった歌番組「ザ・ベストテン」のノリで、アニメの人気ベスト10を発表する。つまり、バラエティ番組風の作品だった。勿論、一度もビデオソフト化はされていない。僕が知る限り、CS等でも放映された事はないはずだ。 当時の「ザ・ベストテン」の司会者は黒柳徹子と久米宏だ。「劇場アニメ70年史」(徳

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    mickn 2022/01/03
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第170回 『マミ』と望月智充と萌えアニメ

    小林治監督が「実写のカメラで撮ったような画作りをし、作品世界やキャラクターを現実感あるものとして描く」という方向性で『クリィミーマミ』を始めたとして、それを発展させ、『クリィミーマミ』の演出を完成させたのが、新人演出家であった望月智充だった。彼の演出担当回は、特に映像がしっかりと作られており、シャープなものに仕上がっていた。僕は放映時にも、彼の回で「ありもしない実写のカメラ」を意識する事があった。 ここまでで取り上げた場面を例にすると、50話「マミがいなくなる…」での、60秒の長回しのカットも、実写的に考えているからこそ作りえたものだった。そういったトリッキーなものでなくても、彼の演出回には、キッチリと画面が作られた気持ちよさがあった。同じ「マミがいなくなる…」で、立花が、団地の前でお好み焼きを売っているスネークジョーを訪ねる場面がある。そのシーンの最後のカットが、団地の前に立つ2人を超

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    mickn 2014/11/18
  • WEBアニメスタイル 「三原三千夫の万国博覧会」 第48回 ウニョンさんって知ってる?

    ここである人を紹介したいと思います。『ケモノヅメ』の#6の作画監督で、なんといっても、#10のアバンタイトルの演出、美術、作画をした人。ウニョン(EunYoung Choi)さん。 ボクはすっかり、彼女のファンになってしまいました。ファンクラブ会員番号は1番ですね。韓国の人で、大学で彫刻を学んで、イギリスに留学してアニメーションを勉強して、日アニメーターになってまだ1年くらいで、動画の経験はなくて、初めから原画の人。 この人は、これからのキャリアの積み重ね方によっては、世界的な仕事のできる人だと思います。とにかく最初に、ウニョンさんの原画を見た時に、「おっ! この人違うな。イイ線だな」と思ったボクの目は、確かなものですね。#10のアバンタイトルを観て、いきなりスゴイ仕事をするのでビックリしたし、興奮しました。まだ、みなさん、ウニョンさん知らないでしょ。ボクは知ってますよ。彼女は、ものす

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    mickn 2014/07/11
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第438回 『艶姿魔法の三人娘』と『魔女っ子クラブ4人組』

    スタジオぴえろ(現・ぴえろ)の魔法少女シリーズのOVAは、ここまでで取り上げた『魔法の天使クリィミーマミ 永遠のワンスモア』『同 Long Good-bye』『魔法のスター マジカルエミ 蝉時雨』以外にも、ミュージックビデオや再編集ビデオが何かリリースされている。今回はその中から、歴代魔法少女が一堂に会した作品を紹介しよう。 1目が、1986年3月28日にリリースされた『艶姿魔法の三人娘』だ。ちなみに劇中に表示されるタイトルロゴでは『三人娘の部分に「マミ・ペルシャ・エミ」とルビが振られている。30分弱の作品で、新作+TVシリーズ再編集の構成。新作は5分ほどだ。『魔法の天使 クリィミーマミ』の優、『魔法の妖精 ペルシャ』のペルシャ、『魔法のスター マジカルエミ』の舞が、温泉宿に行って、TVシリーズの名場面ビデオを観ながらガールズトークを展開するというもの。編集ビデオを見せるよりも、むしろ

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    mickn 2014/06/29
  • WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり[五味洋子] その39 最後の草月

    京橋フィルムセンターで「アニメーション映画の回顧」のプログラムを開催中の1971年1月。それと重なるように草月会館ホールで11月15日から22日にかけて「アニメーション・フェスティバル東京'71」というイベントが開催されました。 主催は日アニメーション協会。これは同年のノーマン・マクラレンの来日に刺激を受けたアニメーション作家たちが結成した組織で、現在活動中の日アニメーション協会(JAA)とは同一のものではありません。手元に残っている当時のパンフレット(A4二つ折1枚、2色刷)には「〈アニメーション・フェスティバル東京'71〉は、アニメーション芸術の、自由な創造の条件を獲得するために、関係する作家、批評家、研究者によってつくられた日アニメーション協会の主催によって開かれます」との添え書きがあります。 当日のイベントはAプロ、Bプロに分かれ、それぞれが海外招待部門とふたつの会員部門から

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    mickn 2014/05/26
  • WEBアニメスタイル | TVアニメ50年史のための情報整理 第3回 1965年(昭和40年) 初のカラーTVシリーズ登場

    1965年は、国産初の格的なカラーTVシリーズ『ジャングル 大帝』が放映開始された年である。 原作は手塚治虫による同名作品。スポンサーは、自社製カラーテレビを発売し、その普及を目指していた三洋電機だ。製作を手がけた虫プロは、継続中の『鉄腕アトム』から大量のスタッフを分離編成。テレビ受像器を通じてフィルムの色がどのように映るのか、数々の検証を行いつつ1年以上の期間をかけて周到に制作を進めた。山暎一がプロデューサーと総監督を兼任し、漫画家として多忙な手塚の管理からは独立しつつ、制作全般を統括した点でも作は画期的な試みだった。一方、手塚は自らが陣頭指揮できる作品として、残ったスタッフを集めてオリジナル作品『W3』を企画。同作は『ジャングル 大帝』よりひと足早く、6月に放映開始している。手塚はほかにも、毎週1時間のシリーズ『虫プロランド』を企画準備していたが、第1話「新宝島」が完成したのみで

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    mickn 2012/07/05
    アニメスタイルの連載
  • WEBアニメスタイル | TVアニメ50年史のための情報整理 第1回 1963年(昭和38年) TVアニメの時代が始まる

    1963年は、日初の30分TVアニメシリーズ『鉄腕アトム』が放映開始された年である。 1月1日の18時15分、フジテレビにて作はスタート。製作を手がけたのは、漫画の神様・手塚治虫率いる虫プロダクションだ。無類のデイズニーファンとして知られ、以前からアニメーション制作に強い関心を抱いていた手塚は、東映動画の劇場用長編作品『西遊記』(60)への参加を経て、61年、自宅の敷地内に自身のスタジオを設立した。実験映画的な短編『ある街角の物語』(62)に続き、わずか40名強の少人数スタッフとともに、この『鉄腕アトム』に着手。週1回、30分放映というTVシリーズの制作ペースは、当時の同業者の眼には無謀とも映る挑戦であった。それを可能としたのは、“3コマ撮り”を主体とした作画や“口パク”“バンクシステム”など兼用セルの多用などによる徹底した作画枚数節減の試みであり、同時に手塚自らがTV局及び代理店に当

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    mickn 2012/07/02
    "もぐらのアバンチュール"
  • WEBアニメスタイル | 「TVアニメ50年史への道」バックナンバー

    BACK NUMBER ■12/06/04 はじめに――TVアニメ50年史への道 ■12/06/04 第1回 1963年(昭和38年) TVアニメの時代が始まる ■12/06/11 第2回 1964年(昭和39年) 新規制作会社続々参入 ■12/06/18 第3回 1965年(昭和40年) 初のカラーTVシリーズ登場 ■12/06/25 第4回 1966年(昭和41年)少女向けアニメほか多彩なジャンルが登場 ■12/07/02 第5回 1967年(昭和42年)格的ギャグアニメの挑戦と挫折

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    mickn 2012/06/04
    おお。25年史からもうそんなに経つのか > TVアニメ50年史のための情報整理
  • アニメ界この1年 ニュースで振り返る2011

    今年もまた訃報の話題が相次いだ。TVアニメ開始からすでに半世紀近くが経っており、時代の必然とはいえ、出崎統、芦田豊雄、荒木伸吾とかつてのアニメブームを牽引したスタークリエイターが鬼籍に入るのはやはりショックな出来事だった。 一方でヒット作・話題作に事欠かなかった点は明るいニュースだろう。『魔法少女まどか★マギカ』はシャフトと新房昭之監督のクールなビジュアルと、可愛らしくも残酷な美少女ものというコンセプトが合致。短期放映を活かした巧みな構成が話題を集め、震災による中断も視聴者の飢餓感を高める結果につながった。女性を中心に人気沸騰の『TIGER & BUNNY』は、TwitterやUSTREAMといったネットメディアも巧みにからめながら、多くの人が当時に同じ番組を享受するというTVというメディアの魅力を改めて示してみせた。フジテレビのノイタミナ枠が『フラクタル』『C』『あの日見た花の名前を僕達

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    mickn 2011/12/28
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    アニメスタイルとは サイトマップ お問い合わせ 旧サイト リンク トップ ホーム ■バックナンバー一覧へ ←BACK 第1543回 タワレコの社長さんに拍手喝采 ■第1544回へ続く (11.11.28) ←BACK ↑PAGE TOP 編集・著作:スタジオ雄 協力: スタイル Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.

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    mickn 2011/11/29
  • WEBアニメスタイル | 板垣伸のいきあたりバッタリ!第236回 『ベン・トー』放映間近

    第236回 『ベン・トー』放映間近 アニメ『ベン・トー』、いよいよ放映間近です! って事で、徐々に『ベン・トー』の話題へ。第1話の先行上映会イベントやらも無事終わったのでここで書ける内容も少し広がったわけです——と言ってもやっぱり1話の内容とかはまだ触れるわけにはいきませんが。 まず、とっくに発表されてるメインスタッフの紹介。原作はアサウラ先生で原作イラストは柴乃櫂人先生。お2人とも若くて賢い先生方でアニメ化に関して協力的です。アサウラ先生はアニメ用にスーパーの名前や地域名を考えてくださったり、柴乃先生も原作イラストでは判明しづらかったキャラの後ろ姿を描いてくださったり、ありがたいです。特にアサウラ先生には毎週アフレコにも出席していただき、各キャラの設定や言い回し、各固有名詞のイントネーションなど、その場でアドバイスとかも現在進行形でお世話になってます(2011年9月末現在)。あとアサウラ

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    mickn 2011/11/08
    弁当作画監督!
  • WEBアニメスタイル_COLUMN

    アニメスタイルとは サイトマップ お問い合わせ 旧サイト リンク トップ ホーム ■バックナンバー一覧へ ←BACK 第1532回 『ムリョウ』がBSアニマックスで ■第1533回へ続く (11.11.07) ←BACK ↑PAGE TOP 編集・著作:スタジオ雄 協力: スタイル Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.

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    mickn 2011/11/08
    なんとムリョウが11/14から
  • WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第68回 でっかいものが消えてなくなる

    話がうんとさかのぼる。 1979年4月に日芸映画学科の映像コースなるものに入学したとき、同級生に舟久保てるみがいた。彼女とはその後も、アニメーション専攻の池田宏ゼミでもいっしょになった。その舟久保てるみから、 「グループえびせん、っていうのやってる」 という話を聞かされた。アニメーションの自主制作グループだという。恵比寿でときどき上映会やってるから来て来てといわれ、行ってみたらほんとうにおもしろかった。真似できない、と思った。 「片渕も入んなよ!」 と、彼女はいう。 「でもあれって、アニメーション・ワークショップの卒業生のグループなんでしょ?」 「今年の冬もワークショップやるから、片渕も行きなよー。そしたら紹介してあげるから」 と、彼女は彼女なりの筋道を立ててしまったようだった。押し出されるように、1980年12月の日アニメーション協会のアニメーション・ワークショップに入り、彦根範夫と尾

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    mickn 2011/02/22
    WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第68回 でっかいものが消えてなくなる
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第458回 「逆襲のシャア友の会」(完結編)

    アニメージュで富野イズムについての特集をしてからも、僕は『逆襲のシャア』について考えたり、人と話したりしていた。何かにつけてこの作品を話題にするので「また小黒さんの『逆襲のシャア』が始まったよ」なんて言われた事もあった。一連の『逆襲のシャア』についての活動で、ピークになったのが同人誌「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア友の会」だった。これは1993年の年末に刊行したで、庵野秀明さんと一緒に作った。実は、このはもう僕の手元にはない。2、3冊持っていたのだが、読みたがっていた友人に貸したっきり、もう10年以上戻ってきていない。返してもらえばいいのだけれど、誰に貸したのか思い出せない。放っておいても返ってくるかと思っていたら、結局返ってこなかった。このコラムを読んだ小黒の友人で「逆襲のシャア友の会」を借りた覚えがある人は、怒らないから戻してもらいたい。 を持っている人に確認してもらったのだが、

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    アニメスタイルとは サイトマップ お問い合わせ 旧サイト リンク トップ ホーム ■バックナンバー一覧へ ←BACK 第1201回 孝博版「アオイホノオ」 ■第1202回へ続く (10.06.21) ←BACK ↑PAGE TOP 編集・著作:スタジオ雄 協力: スタイル Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.

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    mickn 2010/06/22
  • WEBアニメスタイル | アニメ様365日 第61回 『ずっこけナイト ドンデラマンチャ』

    この原稿を書くために久しぶりに「ドンはカウボーイ」を観ようとして、ビデオテープを引っ張り出した。8年程前にCSで放送があった際に、DVテープで録画したのだ。何故DVテープかについて説明すると長くなるので端折るが、8年くらい前の僕は、DVデッキを録画のメインにしていたのだ。久しぶりに据え置きのDVデッキに電源を入れて再生しようとしたら、再生できない。それ以前にデッキがテープを飲み込まないで、吐き出してしまう。テープの問題か、デッキの問題か分からないが、とりあえず再生はできなかった。なんてこったい。 『ずっこけナイト ドンデラマンチャ』は1980年4月15日に放送がスタートしたTVアニメ。全23回で、製作としては東京12チャンネル、葦プロダクション、国際映画社がクレジットされている。セルバンテスの「ドン・キホーテ」を下敷きにしたキャグアニメであり、主人公はドルシネア姫という女性を捜し求めている

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    mickn 2010/05/26
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    アニメスタイルとは サイトマップ お問い合わせ 旧サイト リンク トップ ホーム ■バックナンバー一覧へ ←BACK 第1161回 フィギュアを撮るならこのアプリ ■第1162回へ続く (10.04.20) ←BACK ↑PAGE TOP 編集・著作:スタジオ雄 協力: スタイル Copyright(C) 2000 STUDIO YOU. All rights reserved.

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    mickn 2010/04/21