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ブックマーク / sugitasyunsuke.hatenablog.com (3)

  • 宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読んでみた。 - sugitasyunsukeの日記

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」(『SFマガジン』07年7月号)を立ち読みした。全然ダメだろう。90年代の想像力は「ひきこもり」系「セカイ」系で『エヴァ』『ハルヒ』、00年代の想像力は「サバイブ」系「決断主義」で『コードギアス』『デスノート』、と。東浩紀のオタク論は前者に属し「古い」、後者の想像力が「新しい」。――こんなの、ただのマッピングに過ぎない。しかもかつて例えば磯田光一が左翼(共産党系)/サヨク(新左翼)を分離=切断した時の社会的な問題提起の感覚さえない。わずか10年の世代感覚の差異をちまちま論じ、後者を絶対化し前者を叩く。「コップの中の差異」以下の、この時間的空間的な狭さは何だろう。宇野は東には00年代的なサバイブの感覚がない、と難詰する。しかし、例えば最初期の東浩紀のソルジェニーツィン論やデリダ論は、「生きのびようとする戦略や意志の全く通じないスターリニズム的な世界の中で、生きるこ

    宇野常寛「ゼロ年代の想像力」を読んでみた。 - sugitasyunsukeの日記
    mickn
    mickn 2007/07/24
  • 東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生』のクリティカル・ポイント - sugitasyunsukeの日記

    ゲーム的リアリズムの誕生』(二〇〇七年)の「付録B」の「萌えの手前、不能性に止まること――『AIR』について」に心を動かされた。もともと、共著『美少女ゲームの臨界点』(二〇〇四年)に収録されたものだという。そちらの論集は僕の手元にはない。 ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 (講談社現代新書) 作者:東 浩紀講談社Amazonゲーム的リアリズムの誕生』に付された短いこの「付録」は、おそらく、前作『動物化するポストモダン』(二〇〇一年)ばかりか、作『ゲーム的リアリズムの誕生』の中の一つの死角をも、内側からい破るように自己批評している。そのように感じられた。そこに心を動かされた。 東浩紀はそのオタク論を展開する場合に、しばしばエロゲー/美少女ゲームについて論じてきた。にもかかわらず、エロゲーのポルノ的な側面、あるいは性暴力的な側面には積極的に触れようとはしてこなかった

    mickn
    mickn 2007/07/02
  • サウンドデモ、併走 - sugitasyunsukeの日記

    最近は、っていうかいつものことだけれど、体も頭も大変濁っている。仕事以外殆ど何も出来ていない。全てにおいて面倒で億劫だ。一瞬精力的になったかと思うと、すぐに体が動かなくなる。ぜんまいを巻くのに時間がかかる。そして、その、繰り返しなのだった。ので、先日雨宮処凛さんにお会いした時、教えてもらった下記のイベントにも、参加できるかどうか、するかしないか、まあ実際悩んだというほど悩んでもいないんだけど、なんかうじうじどうしようかなー、と、ずっと決めかねていた。今日も、恋人と午後遊びに出かけようと思ったけど、相手の都合が悪かったので、じゃあということでポテポテ秋葉原に向ったのだった。 http://sounddemo.nobody.jp/ 一つだけこうしよう、と思っていたことがあって、デモには「参加」せず、「見学」しよう、と。ずっと付かず離れずで「併走」というスタンスを取ろう、そこから見えてくるものを

    サウンドデモ、併走 - sugitasyunsukeの日記
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    mickn 2006/08/06
    右翼のデモと思って見物してた人がいたな
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