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歴史に関するmickohのブックマーク (116)

  • 腕木通信 - Wikipedia

    出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。 記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2013年5月) ドイツに現存するシャップの腕木通信塔 1846年当時のフランスの腕木通信網 パリの腕木通信機はルーヴル宮殿に設置されていた。 北欧で用いられたシャッター式通信機(ノルウェー) ドイツ式の通信機 ドイツ式の操作の様子 腕木通信(うでぎつうしん、semaphore )とは、18世紀末から19世紀半ばにかけて主にフランスで使用されていた視覚による通信機、およびその通信機を用いた通信網である。望遠鏡を用い、腕木のあらわす文字コードや制御コードを読み取ってバケツリレー式に情報を伝達した。 フランス式の腕木通信に触発され、欧米各国ではそれぞれの形式の通信機が用いられた。現在では、これら各種通信機を用いたシステム全体をoptical telegraphy

    腕木通信 - Wikipedia
    mickoh
    mickoh 2014/04/17
    >フランス国内を縦断する550kmのルートを通じ、8分間で情報伝達することを可能にした >最盛期には世界中で総延長1万4,000kmにも達した。
  • 「文明は農業ではなく、戦争によって発達した」:数学モデルによる歴史分析

  • Can a Computer Make You Cry? - Chris Hecker's Website

  • 明治三陸地震 - Wikipedia

    明治三陸地震の震度分布 明治三陸地震(めいじさんりくじしん)は、1896年(明治29年)6月15日午後7時32分30秒、日の岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200kmの三陸沖(北緯39.5度、東経144度)を震源として起こった地震である。マグニチュード8.2- 8.5[注 2]の巨大地震であった。さらに、東北地方太平洋沖地震前まで州における観測史上最高の遡上高[注 3]だった海抜38.2mを記録する津波が発生し、甚大な被害を与えた[4]。 なお、当地震を機に「三陸海岸」という名称が広く使用され始めた(参照)[4]。 1888年(明治21年)の磐梯山の噴火や1891年(明治24年)の濃尾地震のときから新聞報道が全国的にされるようになり、義援金が集まるようになった[5]。 概要[編集] 各地の震度は2 - 3程度であり、緩やかな長く続く震動であったが誰も気にかけない程度の地震であ

    明治三陸地震 - Wikipedia
  • 伊丹万作 戦争責任者の問題

    最近、自由映画人連盟の人たちが映画界の戦争責任者を指摘し、その追放を主張しており、主唱者の中には私の名前もまじつているということを聞いた。それがいつどのような形で発表されたのか、くわしいことはまだ聞いていないが、それを見た人たちが私のところに来て、あれはほんとうに君の意見かときくようになつた。 そこでこの機会に、この問題に対する私のほんとうの意見を述べて立場を明らかにしておきたいと思うのであるが、実のところ、私にとつて、近ごろこの問題ほどわかりにくい問題はない。考えれば考えるほどわからなくなる。そこで、わからないというのはどうわからないのか、それを述べて意見のかわりにしたいと思う。 さて、多くの人が、今度の戦争でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。ここらあたりから、もうぼつぼつわからなくなつ

  • イスカンダル - Wikipedia

    イスカンダル(アラビア語: إسكندر‎, ラテン文字転写:Iskandar, IPA:/ʔis.kan.dar/)[1]は、男性名アレクサンドロスのアラビア語ならびにアラビア語に由来する複数地域での呼称である。 イスラーム圏を中心にアラビア語由来の男性名としても用いられており、ペルシア語ではエスカンダル(ペルシア語: اسکندر‎, 中世での発音:Iskandar(イスカンダル)、現代での発音:Eskandar(エスカンダル))[2]、トルコ語ではイスカンダル(トルコ語:İskender, Iskender, 日語での慣用カタカナ表記:イスケンデル)[3][4]などと発音されている。 概要[編集] アラビア語化と音位転換・異分析[編集] アラビア語では、 ギリシア語人名 Αλέξανδρος (アレクサンドロス) 由来の外来人名として ألكسندر(Alaksandar, アラク

    イスカンダル - Wikipedia
  • 応仁の乱 - Wikipedia

    この節には参考文献や外部リンクの一覧が含まれていますが、脚注による参照が不十分であるため、情報源が依然不明確です。 適切な位置に脚注を追加して、記事の信頼性向上にご協力ください。(2019年9月) 鎌倉時代後期から、名門武家・公家を始めとする旧来の支配勢力は、相次ぐ戦乱の結果、力を付けて来た国人・商人・農民などの台頭によって、その既得権益を侵されつつあった。また、守護大名による合議制の連合政権であった室町幕府は成立当初から将軍の権力基盤は脆弱で、三管領(細川氏、斯波氏、畠山氏)など宿老の影響力が強かった。それは宿老や守護大名も例外ではなく、領国の守護代や有力家臣の強い影響を受けていた。こうした環境が、家督相続の方式が定まっていなかったことも相まってしばしば将軍家・守護大名家に後継者争いや「お家騒動」を発生させる原因になった。幕府は、4代将軍足利義持の弟で、くじ引きによって選ばれた6代将軍

    応仁の乱 - Wikipedia
    mickoh
    mickoh 2010/12/03
    >当時の人間にとっても理解が困難であったらしく、尋尊は「いくら頭をひねっても応仁・文明の大乱が起こった原因がわからない」と
  • とくに面白かった本

    ブログの読書の記事も増えてきましたので、とくに面白いと思ったに関する記事を、ブログ開始以前の記事も含めて、以下にまとめて掲載することにしました。 藤木久志『雑兵たちの戦場』 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read007.htm 髙橋昌明『武士の成立 武士像の創出』 http://www5a.biglobe.ne.jp/~hampton/read011.htm ポール=ファッセル『誰にも書けなかった戦争の現実』 https://sicambre.seesaa.net/article/200612article_21.html 篠田謙一『日人になった祖先たち』 https://sicambre.seesaa.net/article/200703article_9.html スティーヴン=オッペンハイマー『人類の足跡10万年全史』 https://s

  • もちろん無免許、石器時代のブラックジャックによる想像以上にハイレベルな手術の跡が発掘される

    石器時代といえば、毛皮を身にまとった人々が「ヤバダバドゥー!」と叫んだり、沈む夕日をバックに巨大な骨付き肉にかぶりついたり、マンモスを追いかけてハングリーになったりするなどといった漠然としたイメージがあるかもしれませんが、もちろんこれは全部ポップカルチャーの中での話。 では実際の石器時代人はどんな生活をしていたのかというと、アニメのようにマンモスの鼻でシャワーを浴びたり石の車輪の車で通勤するということはありませんが、医療に関しては驚くほど現代的だったようです。7000年前の「名医」により腕の切断手術を受けた男性の骨が発掘され、石器時代の医療技術はこれまで考えられていたよりはるかに高度なものであったことが明らかになりました。 詳細は以下から。Stone Age amputee proves Neolithic medics more advanced than previously thou

    もちろん無免許、石器時代のブラックジャックによる想像以上にハイレベルな手術の跡が発掘される
  • 弓矢 - Wikipedia

    この項目では、世界の弓矢の全般・概要について説明しています。武器全般については「武器」を、武器の歴史全般については「武器#歴史」を、日の弓矢に限った詳細の話については「和弓」を、アーチェリーの道具に限った詳細の話については「アーチェリー」をご覧ください。 この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。 出典がまったく示されていないか不十分です。内容に関する文献や情報源が必要です。(2007年2月) 独自研究が含まれているおそれがあります。(2018年9月) 出典検索?: "弓矢" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL ギリシャ文明アパイアー神殿の射手の彫刻[1] 弓矢(ゆみや[2]、きゅうし[3]、英: bow and arrow)とは、弓と矢[2][3](

    弓矢 - Wikipedia
  • 今日の戯言・ヒーロー像の変遷 - Cafe Japanesque

  • 河南の墳墓「曹操の墓」と断定…遺骨を確認・副葬品の数々も(サーチナ) - Yahoo!ニュース

    河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は27日、安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、国時代に活躍した曹操(155−220年)墓と断定したと発表した。「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。 27日付中国新聞社電によると、河南省政府で文化財の保護・管理を行う部署の省文物局は同日、安陽市安陽県の安豊郷西高穴村の「曹操高陵」を、国時代に活躍した曹操(155−220年)の墓と断定したと発表した。「曹操高陵」内部からは、60代男性のものとみられる遺骨も見つかった。 曹操の墓と伝えられている陵墓はほかにも多く、安豊郷西高穴村の“曹操”高陵を「根拠のない伝承」と疑う声も多かった。河南省文物局の陳愛蘭局長によると、墓の規模や状況などが当時の記録と合致し、内部の壁画も後漢末から魏の時代のものと判断できた。 最も有力とされた証拠は、「魏武王」との文字が刻ま

  • 解説:アブナー・グライフ『比較歴史制度分析』 | 仮想制度研究所 VCASI

    書は,ユニークな一次史料に基づいた厳密な歴史分析と,経済社会において人々の行動を動機づけるさまざまな誘因(インセンティヴ)を数理的に分析するゲーム理論を統合する画期的な試みである. 1989年の経済学界は,ノースウェスタン大学出身の若い研究者が書いた博士論文の話題で持ちきりであった.経済学の博士号のほかに歴史学の修士号をも合わせ持つこの研究者は,カイロ旧市街のゲニーザと呼ばれる驚くべき文書貯蔵庫から発掘された膨大なヘブライ語書簡を丹念に読み解き,11世紀の地中海遠隔地貿易に従事したユダヤ人貿易商が,ゲーム理論の数理モデルから導かれる「評判メカニズム」「くり返しゲームのトリガー戦略」を使って協調を達成していたことを明らかにしたというのである.この若き研究者こそが,書の著者であるアブナー・グライフであり,その博士論文とその後の研究の進展は,経済史のみならず,経済学一般や政治学における制度と

  • 戦前戦後を体験した世代が語るスレ | tigerbutter

    << December 2009 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >> http://changi.2ch.net/test/read.cgi/kankon/1247555817/ 2ch生活全般板より。 23、私でも話をきいた後フツーに仕事に戻りそうだ。 33、この話こち亀で初めて知った。 19 :おさかなくわえた名無しさん:2009/07/14(火) 22:49:50 ID:j2SLq9LX 父親は戦争へ行ったよ、内地だけど。 母親は軍需工場で働いていた。玉音放送を工場内で聴き入って・・・ 放送終わった後作業に戻ったら上役の人に、もう戦争終わったから 作業しなくていいんだよ、って言われてみんなハッと我に帰ったって。 23 :おさか

    mickoh
    mickoh 2009/12/10
    >祖母は戦争そのものの話より、誰々が公職追放されたという話をよくしていた。
  • 平家の名将『平沢唯』(たいらのさわただ)について教えてください : ゴールデンタイムズ

    1 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします :2009/12/01(火) 21:15:06.82 ID:+XfPLF3M0 平安時代末期、活躍した平沢唯について色々知りたいと思ってるんですが もし知識がある方がある方がいらっしゃいましたら教えてくださいませんでしょうか?

    平家の名将『平沢唯』(たいらのさわただ)について教えてください : ゴールデンタイムズ
  • Category:キリシタン - Wikipedia

    カテゴリ「キリシタン」にあるページ このカテゴリには 233 ページが含まれており、そのうち以下の 200 ページを表示しています。 (前のページ) (次のページ)

  • 東南アジアをポイントにした海洋帝国の変遷(後編)~アルマダ海戦以後のオランダイギリス~

    kakifly @kakifly スペインに反乱を起こしていたオランダは、スペインの貿易制限、船舶拿捕で経済的圧迫に苦しんでおり、さらにポルトガルのスペインの併合によりポルトガルのリスボンルート等からの香辛料入手も困難になる。スペインや併合後ポルトガルに対抗するために独自でアジア交易ルートを切り開く必要に迫られた kakifly @kakifly 1595年、オランダがジャワ島バンテンへ4隻の船団を派遣し、この成功がヨーロッパ中に衝撃を与えた。オランダの商社は競うように東南アジアに進出したため買付価格が高騰し、販売価格は下落した。そこで複数商社をまとめ、オランダ東インド会社を発足させてアジア貿易の利益を守る体制を作った。

    東南アジアをポイントにした海洋帝国の変遷(後編)~アルマダ海戦以後のオランダイギリス~
    mickoh
    mickoh 2009/11/27
    >大きな戦乱もなく人口も多かったこと、読み書きできる教育水準の高さなどの遺産があったからこそ明治維新後日本が飛躍できたとも言える。/http://twitter.com/mickoh/status/5169266643
  • kousyoublog.jp

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  • 連載「ゲーマーのための読書案内」第46回:『オリエンタル・デスポティズム』

    『オリエンタル・デスポティズム 専制官僚国家の形成と崩壊』 著者:カール・A・ウィットフォーゲル 訳者:湯浅赳男 版元:新評論 発行:1995年1月(通常版は1991年1月) 価格:8400円(税込) ISBN:978-4794802415 ひさびさに大部の書籍を紹介しよう。カール・A・ウィットフォーゲルの『オリエンタル・デスポティズム 専制官僚国家の形成と崩壊』だ。名前から分かるとおり,マルクス以前からの「東洋的専制」論を批判的に継承し,発展させたのがこのである……とか書いていくと,なんでそんなを読まねばならんのかと,いぶかしむ読者も多いだろう。だがこれが,ほぼすべての歴史ゲームに関連する,有益な示唆を含んでいるのである。 国家/社会の発展順というと,我々は近世/近代以降におけるヨーロッパの発展過程を典型と捉え,古代(奴隷制の大帝国)→中世(封建制)→近世(絶対王政)→近代(国民国家

  • 参加記(3):歴史研究の成果を世間に還元するには? - 発声練習

    参加記(2):明日から始める情報発信の続き。 「明日から始める情報発信」のセッションが早くまとまったので、岡さんとミュンスター再洗礼派研究日誌のsaisenreihaさんの雑談「暦女歴女ブームなのに、日歴史学会はなんで歴女を学会に取り込まないの?300人の女子が学会にいればそれだけでいろいろとアピールできるのに」を聞きつけ、歴史研究の成果を世間に還元する話は面白そうだと考えてsaisenreihaさんにセッションをお願いした。セッションタイトルは「歴史研究の成果を世間に還元するには?」 まずは、saisenreihaさんの研究内容を説明してもらう。saisenreihaさんのブログタイトルにあるとおり、研究対象はミュンスター再洗礼派について(参考:wikipedia.ja:ミュンスターの反乱)。これが、ヨーロッパでも屈指の奇妙な事件とのこと。時系列だけを追っていってもかなり面白いストー

    参加記(3):歴史研究の成果を世間に還元するには? - 発声練習