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復丸に関するmika-shimosawaのブックマーク (5)

  • 国衆は下請会社。大名は元請会社。真田丸の世界はそういうこと。

    真田家は徳川家の与力大名として独立です! NHK大河ドラマ真田丸 第18回のタイトルは上洛 秀吉と家康の和睦によって とうとう真田昌幸も上洛します。 天下人・豊臣秀吉に拝謁し臣下の礼をとります。 対面を気にする信繁の父・昌幸と兄・信幸。 信濃の国の一国衆である真田を軽くあしらう秀吉。 そのやり取りが面白い。 大坂城の広間。 緊張しながらも平伏する 真田親子の前に現れたのは 「近江宰相、豊臣秀次である~~」って。 秀吉自身ではなく 秀吉の甥・秀次でしたね~ そして この18回の物語から なんと真田が大名になっています! ここ要チェックです。 さらっと見逃した方も多かった思います。 真田家は信州の国。 小県群の国衆の一人でした。 大名ではありません。 一国の主である大名を頼りにする 力の小さな国衆です。 以前からず~っと治める領土は狭いままです。 不思議だと思いませんか。 それなのに 1.上洛

    mika-shimosawa
    mika-shimosawa 2016/05/10
    なーるほどー!国衆と大名の違いがわかるとまた更に面白いー!
  • 天下人の視線は都に注がれる!再開で天下統一が完成した!?真田丸

    天下人秀吉の居城だった大坂城の現在 NHK大河ドラマ真田丸 17回は「再開」をテーマに展開します。 信繁と姉の松(出雲阿国の巫女・藤として)が 大阪城内で再開。 徳川家康の正室になるために 三河で暮らす秀吉の妹・旭とその母・大政所が岡崎城で再開。 天正壬午の変のおりに対面した 徳川家康と信繁が大阪城での対面前に京で再開。 その家康は秀吉とも 信長の家臣として奮戦していたころ以来の 再会を果たします。 今回のブログでは 物語の中にあった4つの「再開」の 裏のテーマについてお届けしますね。 信繁と松の再開を除くと すべて徳川家康に関係しています。 そのぐらいに・・・ どうしても・・・ なんとしても・・・ 秀吉は家康との再会を急いだんです。 その理由は天下統一のため。 実は現在のボク達が考える天下と 当時の天下人が考える天下は少し概念が違います。 それは日の範囲です。 天下≠日です。 おおむ

  • 表裏をなんて読むのか。裏表とはどう違うのか。真田丸。

    母衣衆の母衣って背中の赤い布の部分 (画像はWikipediaより) ゴールデンウィーの始まった4月29日。 大河ドラマ真田丸。 第16回は「表裏」をやっと見ました。 信繁は秀吉の馬廻衆に配属されます。 これなにかというと・・・親衛隊ってことね。 赤母衣衆と呼ばれるチームと 黄母衣衆と呼ばれるチームに分かれます。 母衣っていうのは 戦場で流れ矢とか石から身を守る補助具足のこと。 風船のように膨らませて背負っている布です。 常にお殿さまのそばにいて護衛する仕事。 信頼されている武将の子息が就いていきます。 ある意味、出世コースです。 お殿さまに近い存在。 信繁にとっては関白・秀吉です。 信州上田に育ち 越後の上杉に供をして上洛した信繁にとって はじめて見る、大都会大坂。 初めて接する天下人・秀吉とその周辺。 その目線はつねに見上げてばかり。 フラット見ることなんて無理です。 あたふたして、ま

    mika-shimosawa
    mika-shimosawa 2016/04/30
    表裏と裏表。対なるものにはいみがある。
  • 現代のお茶碗一杯で1合って決めたのが太閤検地ってこと。真田丸。

    ごはん1合って表現は秀吉に由来する!? 昨日は自宅のテレビ丸。 大河ドラマ真田丸は15話・秀吉でしたね。 これまでのお父さん・昌幸の活躍から一転して 大坂では天下人・秀吉が中心に描かれていましたね。 今回のブログでは 大坂城内で行われる評定(ひょうじょう)に注目! 評定って会議ってこと。 ひとつは大阪城内の広間で行われるオフィシャルな会議。 もうひとつは茶室で行われる非公式な会議。 一方には行政官僚の石田三成が中心で もう一方には茶人の千利休が秀吉の相談相手です。 ボクが面白いって思ったのは「検地」です。 検地って土地の広さを測量して その土地からどれだけのお米が収穫できるのかを測ること。 特に収穫高は土地や国によってバラバラでした。 何が問題なのか。 どうすればいいのか。 諸国の大名がばらばらの時には問題ではなかったことでも 国を統一しようとするとはかりが違っては問題になります。 年

    mika-shimosawa
    mika-shimosawa 2016/04/18
    今ある決まり事は先人の知恵から来ているものなんですね〜。
  • 巨大な迷路ゲーム攻略大作戦って感じ。上田合戦。真田丸

    桜の名所でもある上田城 足軽の気持ちで歩いてみたい 武田信玄・勝頼という 絶対的なよりどころを失った真田家。 敵である織田家に仕えると決ます。 天正10(1582)年6月。 今度は能寺の変で信長が亡くなります。 ここから仕える主を次々に変えていきます。 その後、 第一次上田合戦で真田家が徳川軍を破るのが 天正13(1585)年8月。 この間たったの3年。 大河ドラマ真田丸 第13回は決戦。 ついにあの徳川家康が 上田城をめがけて攻めてきます。 当時、上田城こそが真田家の居城。 同時に上州にあるもう一つの拠点・ 沼田城へも北条軍が押し寄せてきます。 誰がどう考えても勝ち目はありません。 そもそも規模が違いすぎる。 大名と国衆では 大人と子供ほどに力に差がある。 それでも真田昌幸はそれを楽しんでるかのようです。 どうしてでしょうか。 きっと ・・・チャンスはピンチの仮面を被ってやってくる。

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