ペリー艦隊の黒船が横須賀・浦賀沖に来航した嘉永6(1853)年6月当時の江戸幕府の混乱ぶりを風刺した狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん) たった四はいで夜も寝られず」が、黒船来航直後に詠まれたことを示す書簡がこのほど、東京都内で見つかった。この狂歌は関連史料が明治時代までしか、さかのぼれなかったことから「明治人の作ではないか」との説が10年ほど前から出され、最近ではほとんどの教科書から消えていた。発見者は、新史料によって旧来の説が正しかったことが裏付けられたとしている。 発見したのは元専修大講師で横須賀開国史研究会特別研究員の斎藤純さん(62)。同研究会が編集し、横須賀市が発行する研究誌「開国史研究第10号」で経緯を報告している。 それによると、書簡は1853年6月30日付で日本橋の書店主山城屋佐兵衛が常陸土浦(茨城県)の国学者色川三中(みなか)にあてたもの。異国船(黒船)の件で