ときは戦国、下克上の乱世。荒くれ武将たちは我先に天下取りを志して……と思いきや、とりあえず天下はおいておいて、我が道を行く戦国大名も意外に多かったようだ。では、何に目を向けていたのか。 アジアに視線 日本列島で群雄が割拠し、英傑がきら星のごとく輩出した戦国時代。信長しかり、秀吉、家康しかり。守護大名から戦国大名へと移り変わっていく有力武将らにとっても、天下を制することは究極のゴールだったはずだ。ところが、その熱意を海の向こうに注いだ者たちがいた。めざすは対外貿易が生む富である。 「天下統一に動いた大名は、むしろ少数派ではなかったか。アジア的な視野と価値観で活躍した者たちがいた事実は、あまり語られてこなかった」。名古屋学院大の鹿毛敏夫教授は、そんな彼らを「アジアン戦国大名」と名付けた。 代表格は中国地方に勢力を張った大内氏だろう。中央に食い込み、本拠地の山口には雅(みやび)な京文化が栄えた。