中 勘助(なか かんすけ、1885年(明治18年)5月22日 - 1965年(昭和40年)5月3日)は、日本の小説家・詩人・随筆家。明治末期から大正初頭にかけて執筆した小説『銀の匙』が、学生時代の恩師である夏目漱石の推挙を受けて「東京朝日新聞」に連載されたことで文壇に認められる。漱石門下のひとりに位置づけられる一方で、文壇の潮流とは一線を画した文学活動を維持したことから「孤高の作家」と評される[1][2]。 生涯[編集] 幼少期[編集] 1885年(明治18年)5月22日、東京府神田区東松下町7番地(現・東京都千代田区神田東松下町14付近[注釈 1])の旧今尾藩邸で、今尾藩士の父・勘弥(当時43歳)と母・鐘[4][5](志やう[6]、しょう[3]、当時37歳)の五男として生まれた。出生当時、中家には両親のほか、祖母のみき(当時74歳)、次兄の金一(当時14歳)、長姉のはつ(当時7歳)、次姉