中世の代表的な山城で、織田信長軍の前に滅びた丹波市春日町の黒井城が、再び“落城”の危機に直面している。平成の敵はイノシシ。城跡の辺り一面を掘り返し、石垣を崩そうとしている。神出鬼没で戦国武将より手ごわく、手を焼く市教委は「悲劇を繰り返させない」と周辺を金網で囲み、侵入を防ぐ策に出た。 標高356メートルにある黒井城は、戦国時代に「丹波の赤鬼」の名で知られた反織田勢力の名将荻野(赤井)直正の居城で、激戦の末に攻め滅ぼされた。今は、本丸、二の丸、三の丸跡と石垣などが残るだけだが、戦国時代の山城の原形をとどめているのが貴重として1989年、国の史跡に指定された。ハイカーらが訪れる観光地となっている。 ところが、5年ほど前から夜間に出没するイノシシが敷地内を掘り返し始めた。餌のミミズなどを探すためらしいが、石垣の基礎部まで侵入。景観が損なわれる上、石垣崩壊の危険がでてきた。 苦慮した市教委は文化庁
トップ > 岐阜 > 6月1日の記事一覧 > 記事 【岐阜】 大地震で一夜に消えた帰雲城 調査20年、見つからぬ物証 2009年6月1日 今年も現地調査のため白川を訪れた調査会のメンバー=白川村保木脇で 400年前の大地震で一夜にして姿を消し「日本のポンペイ」とも称される帰雲(かえりぐも)城(白川村保木脇(ほぎわき))。城はどこにあるのか。村外者主体の有志グループが調査を続けて20年以上になるが、城郭遺構の手がかりはつかめない。最近、村内からこの活動を支援する動きが出始め、歴史ロマンはまだまだ途絶えそうもない。 「地震でほとんどが土に埋まっているが、そこには間違いなく誰かが住んでいた。その物証を探し当てたい」。調査会事務局の野田秀佳さん(37)=羽島市=は力を込めた。地震で一瞬にしてのみこまれた幻の城。真の姿に少しでも近づきたいとの思いが粘り強い調査に駆り立てている。 会員は
ぐるり一周、ゆっくり歩いて三十分。満開を迎えた桜の木々が、あたり一面をピンク一色に染めている。市役所の真横にあり、高層マンションや住宅に囲まれた約三・七ヘクタールの広々とした空間は、街中の喧騒(けんそう)を忘れさせてくれる。 城の歴史は一千年前にさかのぼる。平安時代後期、二荒山神社の社務職となった宇都宮氏の祖・藤原宗円が館を築いたのが始まりという説が一般的だ。それから約五百年後、宇都宮氏は豊臣秀吉により滅ぼされた。江戸時代は譜代大名の居城となり、日光参拝の際の将軍の宿泊所としても使用された。本丸の御成御殿は将軍専用の部屋だ。城主・本多正純が、からくり仕掛けの天井を作って将軍を暗殺しようとした伝説「釣り天井事件」の舞台もこことされる。一八六八年の戊辰戦争で城の大半が焼失した。 現在は、高さ十メートルの土塁が公園の半分を囲み、土壁に白しっくいが塗られた「富士見櫓(やぐら)」「清明台」がその上に
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