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ブックマーク / deepbluedragon.hatenadiary.com (13)

  • 「論理哲学論考」の語りの枠組みを理解する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    たまたま気が向いて、永井均「ウィトゲンシュタイン入門」を再読していたら、突然に「論理哲学論考」ってこう理解すればいいんじゃないかと思うようになった*1。正直言って「哲学探求」の方が個人的には好みで、ウィトゲンシュタインは前期が分からなければ後期を理解できない、とは思っていたものの実のところ「論理哲学論考」は解説書レベルの理解を超えることが出来なかった(翻訳はどっちも持ってて読んではいたけれど)。 「論理哲学論考」で言いたかったことってこうじゃないかと思った。現実を反映するように言葉を使うこと、つまり論理形式(=現実形式)に従うことによって初めて、日常生活でどう振舞うべきかという倫理形式が語られざることとして現われるのだと。分かりやすく言い換えれば、どのように語るかということ自体が倫理的な問題であり、それを守ることによってそれとは区別される意味での生活での振る舞いとしての倫理が問題になる、と

    「論理哲学論考」の語りの枠組みを理解する - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    mind
    mind 2006/12/29
    論理形式に従うこと自体が一種の倫理なのであり、その点では論理形式と倫理形式とは表裏一体だったのだ。 ――どういう論理形式に従うのが真に実用的か、という選択の問題が倫理なのかも。
  • 認知科学はすでに終わってる…? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    正直なところ、認知科学(の盛期)がすでに終わったものだとしてもそんなことはどうでもいいことだ(それを言ったらフランス現代思想はとっくに終わってる)*1。私がむかつくのは、認知科学の成果がろくに考慮されずに議論がなされていることだ。未だに認知科学を人工知能や脳科学と一致させるような不勉強などを目にしてうんざりする。まぁ、それを言ったら、日の心理学の入門書のほとんどが認知心理学を記憶や思考などの特定のテーマを扱うだけの分野として扱っているレベルの低さにはさらにうんざりするが*2。どちらにせよ日は理解のレベルが低い人が多すぎる。 今や、認知系の研究者の多くは応用研究に走っている。心理学は学習科学、言語学は第二言語習得、人工知能は(認知モデルとは無関係な)実用的ソフトウェア*3、脳科学は神経工学*4、哲学でも神経倫理学とか*5。でも実用や応用は構わないけど、過去の認知科学の成果を前提にしないレ

    認知科学はすでに終わってる…? - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    mind
    mind 2006/10/26
    認知系の研究者の多くは応用研究に走っている。 ――学際的と云われたらしいけど、何を研究するのにも認知科学/computer科学の助けが必要になっている。
  • このブログについて - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    https://deepbluedragon.hatenadiary.com/entry/oldprof 上のリンクはダイアリー時代の古いプロフィールからのコピー。紹介してる記事の様子だと書かれたのはおそらく2008-9年頃かな。古臭いので迷ったが新しいプロフィールを書く気が起きないので参考として… プロフィール id:deepbluedragon

    このブログについて - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 私たちはいかにして世界を知るのか--哲学的認識論について-- - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    私的な序論 ある意味で、私は昔からたった一つの疑問についてしか興味を持っていなかった。他の人は世界をいかに見ているのか。果たして私と同じに見ているのか、そうではないのか。人は物事をどのようにして知るのか。なぜ同じ物を見て意見が分かれるのか。もちろん常にこの質問が頭にあったわけではないが、しかしふと気づくとそれが不思議で不思議でしょうがなかった*1。大学の専攻(心理学)は全く別の理由で選んだのだが、認知科学の存在を知ってからはすっかり夢中になったのもそのせいかもしれない。それとは別に哲学のも読んでいたのだが、哲学における認識論とは真理を相手にした認識論でしかないことが分かり興味がなくなった。今ではたいていの哲学の議論は自分に都合のいいように使えるが、当時はまだそれができなかった。それに科学理論には何かがあるという希望を持っており、思弁的な話には目が行かなかった。しかし、後にC.H.パースの

    私たちはいかにして世界を知るのか--哲学的認識論について-- - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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    mind 2006/09/23
    独我論,観念論,先験論,弁証論: 他の人や物との相互関係が人の認識を作り出す。弁証/対話とは典型的な相互関係である。…認識を身に着ける過程を想定することで、知覚の世界から言語の世界への移行も捉えられる。
  • ミーム概念への妥当な理解と脳科学の社会化 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    私はミームという概念に感心したことはない。何が納得いかないって、進化からの類推で考えると、何が伝えられて何が淘汰されるのかその単位がはっきりしない。進化論の場合は、遺伝子(ジーン)が子(社会生物学によれば親類も含む)に伝えられて(もちろん突然変異もある)その動物の形態や行動として表れてその結果として淘汰がなされる、という過程がはっきりとしていて分かりやすい。ここでは遺伝子(ジーン)という単位が存在することで見事に納得の行く過程に仕上がっている(でなければ、後天的能力が子に伝えられるというラマルク主義と区別がつかない)。しかし、ミ−ムの場合はそうではない。定義の参考として以下のサイトを挙げておこう→ミーム - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0やMEMETICS http://www.es.di

    ミーム概念への妥当な理解と脳科学の社会化 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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    mind 2006/08/03
     歴史は脳の可塑性を基礎にした学習と創造によって進んでいる。つまり、ある文化の中で学習された行動や考え方(とそれを打ち破る創造や発明)によって人は歴史を作り上げている…。 ――debug/version up/再インストール!
  • インターネットはホットなメディア、だからこそクールなテキスト中心主義者になれ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    有名なメディア論者マクルーハンは、ラジオはホットなメディアでテレビはクールなメディアだ、と言っている。テレビは映像と音声によって多くの情報が流されるので視聴者は受身になるが、ラジオは情報が音声だけなので想像力をはたかせる余地があり積極的に参与して聞くことになる。ラジオについてはアメリカで起きた火星人到来騒動を例に挙げている。実は物語としてラジオで流したのをニュースとして受け取られたという事件だ。では、インターネットはどんなメディアなのか。 インタネットもブロードバンドの普及で映像も音声も享受できるようになった。じゃあ、インターネットがテレビのようにクールなメディアになっているかというと怪しい。2チャンネルはもとよりブログやSNSなどの隆盛を見るとむしろホットなメディアだという印象がある。おそらくこれはテキスト中心、つまり情報量が少ないせいなのかもしれない。情報量が少ないほど様々な解釈の余地

    インターネットはホットなメディア、だからこそクールなテキスト中心主義者になれ - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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    mind 2006/07/25
    書く文章は論旨がはっきりしない断片的な文章。となれば、あとは勝手に想像するしかないのでホットになる。勝手な読み込みが増えて、後は加速。コメント合戦が繰り返されるだけだ。 ――クールなネット処世訓!?
  • 日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    「サードオーダー」問題に関連する文章を書きました http://www.miyadai.com/index.php?itemid=365に関連させて…。分かりやすく言えば、一次(ファーストオーダー)の観察とは現実への観察であり、二次(セカンドオーダー)の観察とはその観察の仕方への観察である*1。例えば、マスコミが行なう事件の報道そのものは一次観察であるが、それに対してマスコミの報道する事件は偏っていると批判をするのが二次観察である。科学世界で言えば、実証研究は一次観察であり、理論研究は二次観察である*2。普通は一次観察と二次観察とがお互いに依拠しあうことによって進展する。 正確には、日には一次観察と二次観察もろくな形では存在しない。例えば、経験主義の英米系は実証研究による一次観察が盛んで、理性主義の大陸系では理論研究による二次観察が盛んだ。しかしどちらにせよ一次観察と二次観察、つまり実証

    日本は一次観察と二次観察とが乖離した不毛な空間 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    mind
    mind 2006/07/11
    一次1st orderの観察とは現実への観察であり、二次2nd orderの観察とはその観察の仕方への観察であり、3rd orderの観察とは… ――メタへの恐怖。スケールフリー、フラット、domain⇔rangeだと無差別、混同する。
  • 海外の認知科学者の有益な個人ページのリンク集 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    私のブラウザのお気に入りに入っていたサイトと新たに調べたサイトを合わせたリンク集です。単なる研究者の紹介サイト(結構多い)は除き、有益な情報や論文の入手ができるサイトだけにしてます。ただし、私が得意でない神経科学系のサイトは少ないです。以下は、お断りすることない限りすべて英語のサイトです(順不同) 参考サイト:Biographies of Major Contributors to Cognitive Science(認知科学人物辞典) http://mechanism.ucsd.edu/%7Ebill/research/ANAUT.html 海外の認知科学者の個人ページ 生成文法 The Noam Chomsky Website http://www.chomsky.info/index.htm Jackendoff http://ase.tufts.edu/cogstud/incbio

    海外の認知科学者の有益な個人ページのリンク集 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
  • 現在の日本はすでに日本的ファシズムと等価な政治的スノビズムに陥っている - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    今の日じゃ蛸壺化も棲み分けもすっかり進んで、国内の違った領域の人の間でコミュニケーションすることはありえないし不可能だしそもそもやる気がない。他者への想像力を欠いた利己的なネオリベとか、仮想の敵や問題を見つけ出しては必死に叩く自己満足なスノビズムとか、3次元から逃げ出して萌えに走ったオタクとか、現実とは無関係に評論家ごっこするアカデミズムとか、みんなすっかりバラバラだ。いくらネット上で社会問題について語っても、読むのは初めから限定された人たちだけだ*1。 もうすでに日では、政治家も官僚も企業家も学者もマスコミも、みんなみんな信用できない。そこにあるのは好き勝手なおしゃべりだ。勝手に自分に都合のいい敵だの問題だのを構築して騒いでいるだけだ(現実からのデータに基づいたきちんとした話ってどれほどある?)。スノビズム王国バンザイ!かといって、物の弱者は忙しいだの金がないだので、マスコミに踊る

    現在の日本はすでに日本的ファシズムと等価な政治的スノビズムに陥っている - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    mind
    mind 2006/06/14
    他者への想像力を欠いた利己的なネオリベ、仮想敵を見つけ出しては叩く自己満足なスノビズム、3次元から逃げ出した萌えオタク、現実と無関係に評論家ごっこするアカデミズム。バラバラ。社会問題、読む人は限定され
  • 蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- 認知革命の意義とはなんだったのか

    現実観察から得た初期条件(周辺条件)をモデルに入力すると、一定の出力変数が得られて、それが現実観察から得られたデータに合致する場合に、モデルは「現実適合的」だと評価される。現実適合的なモデルは、現実の説明・予測・制御に用いることができる。 言うまでもなくモデルビルディンクは「真理の言葉」ではない。モデルは現実適合性という機能の高低によって──すなわち「機能の言葉」によって──、相対的に評価される。そこでは同一の説明力(という機能)を持つ競合的なモデルの存在が予め想定されている。 この説明力が、説明や予測の一意性──因果的決定──によって評価されるのが自然科学的な因果モデルだが、これに対しルーマンは、複雑な社会システムでは因果モデルの追求は不毛だとし、認識利得を機能的等価項目の開示に置く機能モデルを提唱したのだった。 社会学からの全体性の脱落に抗して、いま何が必要なのか【モデルビルディングと

    蒼龍のタワゴト-評論、哲学、認知科学- 認知革命の意義とはなんだったのか
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    mind 2006/05/27
    情報処理metaphorによるモデル化に過ぎないのに、まるで客観的にそれが分かるかのように伝えて…。脳科学は物理学を規範としたハードサイエンスではない。 ―― 一般向けに好き勝手なこと言って煙に巻くのは楽しそう@@
  • 人の合理性はどこに存在するのか - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    始めに結論を書いてしまおう。人の合理性は理性の中にはない。人の合理性は抽象的な論理的判断の中にではなく、その場その場で行なう状況判断の中にこそある。だから、いくら待っても理性的な賢い民衆など現われることはない。だからといって、政治家やエリートが常に理性的に賢いということもありえないが(人が理性的な合理的判断が出来ないという研究結果はいくらでも存在する。それを紹介するのはここの目的ではない。それはどの認知心理学の教科書にも書かれているはずだ(たぶん))。人の理性はある意味で進化の途上で偶然に現われたものにすぎず、これ以上進化することはありえない。なぜなら、それが進化論的に定められた運命なのだから。*1 あくまで人は動物である。これは人も進化によって生じたのであり、自然淘汰の原理によって発生したに過ぎないと言うことを意味する。それ以上の意味はない。これがすべての基である。 理性を持った人間へ

    人の合理性はどこに存在するのか - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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    mind 2006/04/06
    社会改良…をする気なら人の持つ生得的な制約に… ――自然法ですよ♪ 大脳というHWの進化は一段落したとしても、「インストールされてくるソフトウェア」(合理的な思想/思考方法)の進化は、まだまだ発展途上で…。
  • 認知科学史上の重要文献トップ10の紹介 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ミレニアム・プロジェクトのトップ10の紹介 1:チョムスキー「文法の構造」(1957) 生成文法で有名。まさに認知科学という分野を作り上げた、といっても過言でないほどの画期的な理論。第一位は当然です。 2:マー「ヴィジョン」(1982) 網膜上の二次元を三次元へと変換するための視覚理論である二と二分の一スケッチで有名。視覚の計算理論の可能性を示した、夭折の天才マーによる著作。認知科学に再び革命を起こしたといっても過言ではない。上位二つで認知科学の転換点が分かる。 3:チューリング「計算機械と知能」(1950) 有名なチューリング・テストです。人工知能好きは今でもこの話をするのが得意ですね。いい加減に自律型ロボットの話でもすれば…とも思うが、この話題は衰えない。すごすぎ。 4:ヘッブ「行動の構造」 (1949) コネクショニズムの源となったシナプス結合によるモデル(ヘッブの法則)を提唱した。

    認知科学史上の重要文献トップ10の紹介 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
    mind
    mind 2006/04/01
    認知科学は学際的で領域も広いので全体像が見出しにくいし、だんだんとその本来の意義も分からなくなってしまっている。 ――人間科学と同じことに? ロボット科学でも別に良いけど。アトムとプルートかぁ。 GEB。
  • ウィキペディアの認知科学に関連した項目 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~

    ネット上のフリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)なんてまじまじと見たことなどなかったけど、認知科学関連の項目はネット上で手に入る情報の中でも出色なようだ。以下でちょっと文句も言っているが、とはいえ自分で説明を書き込むほどの自信はない。その前にはてなキーワードを何とかしろ、ですね。 認知心理学 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%8D%E7%9F%A5%E5%BF%83%E7%90%86%E5%AD%A6 きれいな説明。カーネマンとかトヴァスキーって誰、と思ったらヒューリスティクス(人がたいてい行なう物事へのあいまいな判断法)の人でした。用語は知ってたけど、研究者までは知らなかった。こういうのはまだ結構ある。 記憶 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6 これはすごい、便利すぎる。私も

    ウィキペディアの認知科学に関連した項目 - 蒼龍のタワゴト~認知科学とか哲学とか~
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