ハイコ・ラウクスはジャーマン・テクノを体現するような人物だ。テクノ黎明期に多感な10代を過ごし、周囲の誰よりも早くシンセサイザーとドラムマシンで楽曲制作を開始。94年に地元ヘッセン州の小さな町でレーベル〈Kanzleramt〉を立ち上げた。それがスヴェン・フェイトの目に留まり、フランクフルトの伝説的クラブ、〈Omen〉のレジデントに抜擢される。99年にはテクノ・キャピタルとして勢いを増していたベルリンに拠点を移し、変わらぬ情熱と熟練のスキルで制作活動とDJ活動ともに精力的に続けている。 数ヶ月前、宇川直宏氏に「今年もFREEDOMMUNE 0 <ZERO>やるから、いいテクノDJブッキングしてよ!」と言われて真っ先に思い浮かんだのが彼だった。実際に出演が決まり、〈eleven〉でのアフター・パーティと大阪〈Circus〉でもそのプレイを披露することになったハイコに、ベルリンで話を聞いた。テ
![interview with Heiko Laux | ele-king](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/53f080c6225f017da941b08bd938aacaa0a58de3/height=288;version=1;width=512/http%3A%2F%2Fwww.dommune.com%2Fuploader%2Fimg%2F306.jpg)