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ブックマーク / www.barks.jp (6)

  • 米成功に向かって羽ばたき始めた、細野晴臣のミュージシャンシップ | BARKS

    約半世紀の間、細野晴臣は非常に人気のある、評価の高いミュージシャンであり続けたにもかかわらず、彼が国際的に知られるようになったのは最近のことだ。彼は日において、1969年から始めたエイプリルフール、ハッピーエンド、イエロー・マジック・オーケストラと革新的なバンドで活動を続けた。しかしアメリカでハッピーエンドを知っていたのは、長い間、ヴァン・ダイク・パークスやリトル・フィートとの活動から彼らに興味を持った音楽マニアか、音楽史学者に限られていた。ハッピーエンドが日語で歌うロックにこだわっていたのも理由のひとつだろう。遅まきながら、2003年のソフィア・コッポラの映画『Lost In Translation』でハッピーエンドを知った人々も多い。 イエロー・マジック・オーケストラのデビューアルバムは1979年にA&Mレコードからリリースされた。日ではすぐにスーパースターとなった彼らも、アメリ

    米成功に向かって羽ばたき始めた、細野晴臣のミュージシャンシップ | BARKS
    minus9d
    minus9d 2019/03/03
    「ハッピーエンド」が気になりすぎる
  • アンドリューW.K.、ファンのスピード違反罰金の支払いを申し出ると… | BARKS

    Photo by Nina Ottolino 英国在住の男性が、アンドリューW.K.のニュー・シングルを聴きながらドライブしていたらスピードを出し過ぎてしまい、違反の切符を切られてしまったとツイートしたところ、アンドリュー人から返信があり、男性の代わりに罰金を支払うとの申し出があったそうだ。 ◆アンドリューW.K.画像 Luke Mitchellさんは週末(1月15日)、「何気にM4(高速道路)を走っていたら、@DanielPCarter @Radio1RockShow(ラジオ番組)で@AndrewWKのニュー・シングルが流れ、スピード違反の切符を切られた。完全にそれだけの価値はある」とつぶやいた。 すると、アンドリューから「パーティーのツケ」と返信があり、その後「LUKE : 君のために俺がスピード違反の罰金を払いたい。俺は、君を加速させることになったこのソニック・パーティー・パワーに

    アンドリューW.K.、ファンのスピード違反罰金の支払いを申し出ると… | BARKS
  • 「出演者ラインナップの理想と現実」フジロックのブッキング論 | BARKS

    今年の<FUJI ROCK FESTIVAL '17>は、7月28日(土)〜30(日)に開催となる。2017年もゴリラズ/エイフェックス・ツイン/ビヨークという、感動のフェス空間を解き放つであろうヘッドライナーが軒を並べているが、フジロックの魅力のひとつには、メインのグリーンステージから小さなステージまで、様々な雰囲気と色を持つ大小の会場で折々の音楽体験が堪能できる懐の深さがある。 音楽趣味は十人十色ゆえ、参加者全員が満足するラインアップというのはありえないものだが、多くのフジロック参加者が笑顔で会場を後にする例年の光景を思えば、結果として、10万人を超えるコアな音楽ファンが納得の充実感と感動を覚える魅力的なラインナップが、毎年きっちりと実現されていることに気付く。さらに言うと、早々にチケットが発売されラインナップが発表される前に売れていく様を見れば、フジロックへの信頼は厚い。 正解のない

    「出演者ラインナップの理想と現実」フジロックのブッキング論 | BARKS
  • スーサイドのアラン・ヴェガ、死去 | BARKS

    エレクトロ・ミュージックやパンク・ロックのパイオニア的存在、スーサイドのフロントマン、アラン・ヴェガが土曜日(7月16日)亡くなった。睡眠中に息を引き取ったという。78歳だった。 ヘンリー・ロリンズが同日、彼のウェブサイト(Henryrollins.com)にヴェガの家族からの声明を掲載し、訃報を伝えた。 ヴェガは1971年、マーティン・レヴとNYにてスーサイドを結成。1977年に1stアルバム『Suicide』をリリースした。メインストリームでの成功はなかったとしても、そのライブ・パフォーマンスとアヴァンギャルドな音楽は、多くのミュージシャンに影響を与えた。 ビリー・アイドルは「80年代初め、アラン・ヴェガのソロ・ギグを観に行ったとき、彼が俺とPerri Listerにどんな風にJe T’adore(スペルあってるか?)を歌ってくれたか、思い出しているところだ…RIP」と追悼。ポーティス

    スーサイドのアラン・ヴェガ、死去 | BARKS
  • ウィルコ・ジョンソンを救ったのは、外科医のファン | BARKS

    ウィルコ・ジョンソンが癌を克服したと発表したが、彼の命を救ったのは、1ファンが抱いた「なんで前より元気なんだ?」という素朴な疑問だったという。 ◆ウィルコ・ジョンソン&チャーリー・チャン画像 そのファン、英国チェルトナム在住の外科医で余暇にフォトグラファーとしても活動するチャーリー・チャン氏は、『Gloucestershire Echo』紙にこんな裏話を明かしている。 「みんなと同じように、ウィルコが手術不可能な膵臓がんを患っていると明かしたときショックを受けたよ。この病気の患者の大半が9~10ヵ月しか生きられないのを知っているから」「2013年春に行われたウィルコのツアーで何度か写真を撮った。もう彼には会えないんだろうって思った。でも、7月、フェスティヴァルに出ることになって、フォトグラファー・ピットにいた僕は、もう当にこれが最後だって、すごく感情的になっていた」「彼といろいろ話したけ

    ウィルコ・ジョンソンを救ったのは、外科医のファン | BARKS
  • ドキュメンタリー映画『ドクター・フィールグッド -オイル・シティ・コンフィデンシャル-』、4月9日(土)公開 | BARKS

    ドキュメンタリー映画『ドクター・フィールグッド -オイル・シティ・コンフィデンシャル-』、4月9日(土)公開 ドクター・フィールグッドの真実を映し出すドキュメンタリー映画『ドクター・フィールグッド -オイル・シティ・コンフィデンシャル-』が4月9日(土)に公開となる。 ◆ドクター・フィールグッド画像 70年代初頭からイギリスのパブロック・シーンを牽引し、後のパンク・ロック・ムーブメントの火付け役となったドクター・フィールグッドは、イギリスの石油の町キャンベイ・アイランド=オイル・シティから登場した。当時全盛だったシンセサイザーを多用したソフトなロックに反し、ウィルコ・ジョンソンのピックを用いない鋭いカッティングと狂気を伴った視線は、ロックシーンに多大な影響を与えた。ウィルコ・ジョンソンのアグレッシブなステージ・パフォーマンスと、白いスーツにくわえタバコといった出立ちのリー・ブリローのワイル

    ドキュメンタリー映画『ドクター・フィールグッド -オイル・シティ・コンフィデンシャル-』、4月9日(土)公開 | BARKS
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