先日受けた集団ストーキングが終わった頃に、面白ユーザーからのレスが。 「ネコウヨだ!!!!と言いたいところだが、俺はもう辞めた。」 「罵りたければ、どうぞお好きなように罵ってください。それでも俺は、もう疲れました。」 「俺も日の丸アイコンを外すときがきてしまったかな。」 揺れる思い。深まる個人崇拝。トトロは踊り、光武は跳ねる。 続きを読む
「ダマッテハナオトッテスミマセンデシタ」―。育てている花を誰かに切り取られていた横須賀市の男性方で19日、過ちを謝罪するメモが見つかった。バラの枝に添えられたメモには、病床にあった妻に見せようと花を摘んでしまったこと、その妻が亡くなったことが記されていた。 横須賀市大津町の山川潔さん(76)は30年以上、自宅の裏庭や土手でバラやアジサイ、梅などの花々を育てている。花が摘まれているのに気付いたのは昨夏だった。ハサミなどで丁寧に切り取った跡があった。四季折々に咲く花が、同じようにわずかずつ摘まれていった。 取られるのは毎回1輪ほど。声を掛けてもらい、花を譲ろう。山川さんは今月10日ごろにバラの枝に添え書きを結んだ。 「花が、ほしい方は申し出て下さい」 掲示から約10日後の19日、メモが上から張られていた。 「ツマガガンノタメ ボクニワハナオイッポンモカッテアゲルコトモデキナカッタノデ
太宰治ってどんなイメージ? 「拝啓、ジョン・レノン」ってご存じ? 真心ブラザーズの曲で、ジョン・レノンへのラブレターを読み上げる歌。中でも特に印象的なのは、ジョンの人となりを挙げていく下りで、ジョンは、変人で、非現実的な、ダサい中年だそうだ。 この人となりは、作詞者から見たジョンというよりも、人々の目に映っているジョンの人間像。正しくもあり、間違いでもある、一面的なジョン・レノン観である。 それでは、昨年、生誕100周年をむかえ、それを記念して著作が4作も映画化された作家・太宰治の一般的な人間像は? ――暗くて、弱くて、自殺願望が強いダメな中年 正しくもあり、間違いでもある、一面的な太宰の人間像。 このネガティブなイメージは、そのまま太宰作品に対する印象にもつながり、 「太宰作品は暗くて読みづらそう」 「すぐ死にたいとか言ってそう」 「そもそも近代文学って古くさいし、むずかしそう」 「ぶっ
@Gaius_Petronius 王立は、もう完全に「宇宙開発って素晴らしいんだよ。人間の英知と努力は尊いよ!」ってな感じですものね。
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
トロ・ステーションであろうが、殺伐としていきたいと思ってます みなさんも殺伐としていってくださいね! シナリオライターになったきっかけ 小学生の時に親にPC-6001mk2というパソコンを買ってもらった 当時はアドベンチャーゲームの黎明期で、いろいろプレイしていた そして自分でもBASICを覚えて作り始めるようになって この頃にゲームに関わる仕事をしたい!という夢を描き始めました 大学生になってからは音楽の宅録にハマっちゃって 音楽で食ってくぞ!と決意しました しかし就職活動でコンポーザー志望でいろんなゲーム会社を受けまくったものの ことごとく落ちてしまって…自信があったのになんで?って ようは井の中の蛙で 周りは褒めまくってくれてたんだけど 実のところ自分にはアレンジやミックスのスキルがぜんぜんなかったという… ああ…大好きなゲームと関わる仕事ができないんだ…という絶望の大学4年生の夏休
2010年05月23日 05:47 カテゴリネット感想文 まおゆうはなぜ批判されるべきなのか2:イデオロギーとしての「まおゆう」 Posted by taitiro Tweet 前回の記事:まおゆう( #maoyu )はなぜ批判されるべきなのか1:肯定的意見のまとめ - 見たり聞いたりしたこと さて、いよいよ僕自身の批評に移っていくわけですが、その前に、そもそも「まおゆう」ってどんな感じのお話なのか見ていきましょう。 といっても、まおゆう賞賛派の中には、まおゆうは13スレッド費やして書かれた小説なんですが、「13スレ全部読まないとダメだ」という人が居ますが、断言しましょう。それは間違いです。むしろ、13スレ読んだとしてもあなたは1スレ目読んだときと同じ感想しか持ち得ません。賛否抜きにして中立的に考えても、「自分がこれを読んで面白いかどうか」を判断するには1スレで十分ですし、「この物語の流れ
Bitchopin ひどい目にあった。夫にPCを取り上げられて、ずっとログインできなかった。誰だよツイッターが出会い系だなんて噂広めたの・・・! 2010/05/09 05:05:39 link Bitchopin 結婚するとたまにこういう理不尽な目にあいます。結婚したらずっと愛し愛され互いを尊重しあい、深い理解のもと自分らしくのびのびと暮らしていけるなんて幻想ですからね、あまり夢を見すぎていると痛い目に合いますよ。悪いことばかりじゃないけど、いいことばかりでもないんだ、それが結婚・・・! 2010/05/09 05:06:18 link Bitchopin しかし夫とすらうまくコミュニケーションできないなんて、どれだけ低コミュなの私・・・。いや、夫だからなのか。とりあえず、母の日に合わせて帰省したので、父のパソコンからアクセスしております。 2010/05/09 05:06:53 lin
1 :中国住み(青海加油!):2010/05/22(土) 21:08:11.50 ID:I/5IPCa1● ?PLT(12002) ポイント特典 ロシヤのボルガ川にかかる完成したばかりの橋が揺れて危ないので閉鎖中だそうです! http://news.qq.com/a/20100522/000569.htm 5 : アゴハゼ(dion軍):2010/05/22(土) 21:08:45.12 ID:WUMzqA0J 橋までアル中かよ 10 : アマシイラ(広島県):2010/05/22(土) 21:10:01.01 ID:EogKVe2H 揺れてるってレベルじゃねえぞwwwwwwww 11 : ギチベラ(埼玉県):2010/05/22(土) 21:10:05.85 ID:Mjfhx7+G 工事した人が酒飲みながら作ったのが原因だな 13 : アミチョウチョウウオ(山陰地方):2010/05/
2010年05月23日 00:05 カテゴリネットまとめ まおゆうはなぜ批判されるべきなのか1:意見のまとめ Posted by taitiro Tweet twitter見ている方はまぁご存じかと思いますが、実はちょっと前から僕はずーっとある小説に対して批判をしていました。 http://maouyusya2828.web.fc2.com/ 正式名称は、「魔王『この我のものとなれ、勇者よ』勇者『「断る!』」だそうで、2chで書かれた小説です。 今までの議論のまとめ このまおゆうに関しては、今まで賞賛派・批判派双方様々な記事が書かれてきましたし、twitterでも多数の発言がありました。 googleで検索 はてブタグ #maoyu(twitterハッシュタグ) ……いやまぁ、はてな界隈ばっかなんだが。 で、まずはそこでどんな議論がなされてきたかということを整理していきましょう。どんな議論
はてダの痴漢関連のエントリーがどうやら痴漢専門アダルトサイトにリンク貼られたらしい。解析見て、鈍器で頭殴られたみたいなショックを受けてしまった。なんでだよ。いやがらせかよ。てめえらみたいなクズがいるから被害者が減らねーんだよ。訴えてやろうかマジで。 約20時間前 P3:PeraPeraPrvから
宮台教授は翌日の都議会総務委での参考人招致で意見陳述しており(TOKYO MX「都議会 性描写規制案めぐり参考人招致」)、この日の発言は意見陳述とほぼ同じ内容。改正案を「ゾーニングの顔をした表現規制」だと批判した上、表現規制による法益が疑わしいこと、メディアによる悪影響論には学問的根拠がないこと、市民の議論で意思を形成していくべき表現のあり方について行政が一方的に封殺することは「社会の自立の自殺、行政による他殺」である──などと述べた。 宮台教授の発言は以下の通り。発言は、同時に上映したスライドに沿っている。 「誤解」を招いたのは誰か みなさんこんにちは。明日(18日)の総務委で参考人としてお話をさせていただきます。大変荷が重いんですが、できるだけきょうみなさんがお話しになったことをもれなく伝えることができればと思っています。 多くの方々がおっしゃってるように、子どものレイプ被害者は激減し
やっと母から色々聞けたので吐き出したい。 父は自分が子供の頃死んだ。末期の肝硬変。直接の死因は静脈瘤破裂。 もう助からない、となった時、最後に顔を見ておこうって事でお見舞いに行った。 意識朦朧としながら「○○か・・・」って自分に言う父の姿が最後の記憶。 最初、調子が悪くて行った地元一大きい病院の医者がとんでもないヤブで、通院してるのにどんどん悪化。 それでも「ちゃんとやってる」と言い張る医師。 ボロボロになりながら喧嘩別れみたいに転院してやっと大きい病院で診てもらったが時既に遅し。 それでも数カ月後には外に散歩に出てこっそり一服も・・・なんて小康状態まで持ち直した。 緩やかに確実に蝕まれていく父。 母いわく「もうどんな状態でもいいから自分ら子供たちが物心ついて理解出来るまでどうにか生きていてくれればいいと思っていた」。 ある日母は院内の洗濯場へ。ほんの少し目を離した隙だった。 戻って来たら
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く