ある子ども達の蘇生:回想、マスコミ嫌いの始まり [ 医療 ] 今でも鮮明に思い出す、心の傷。 医療をやっている限り、悪い結果が生じたり、患者さんがお亡くなりになったりするたびに、私の心に少しずつ傷がついて、積み重なって行く。それと上手につきあうようになって行くものだが、忘れられないことも多い。 かれこれ、十数年前の話。とある、田舎町。凍り付く真冬の北海道でのこと。まだ独身の頃の休日。駆け出しの私はいつでも経験を積めるように、というもっともらしい理由で、病棟回診後も医局でごろごろとしていた。 ひるすぎ、救急外来主任が血相を変え、医局へ駆け込んで来た。 「少年が二人溺れて、救急車で搬送されてきます。応援おねがいします!!」 僻地の基幹病院の休日、回診後に運悪く居合わせた全医師が集結した。私のような駆け出し内科医から耳鼻科医、外科医、小児科医、眼科医などが待ち受ける中