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批評に関するmisui-shiのブックマーク (8)

  • 宇多丸 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』を語る

    宇多丸さんがTBSラジオ『ウィークエンド・シャッフル』の映画評論コーナーで『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』を評論した際の書き起こしです。 (宇多丸)ここから夜11時直前までは映画評論コーナー、週刊映画時評ムービーウォッチメンをお届けいたします。いま劇場で公開されている最新映画を、映画ウォッチ超人ことシネマンディアス宇多丸がウキウキウォッチング。その監視結果を報告するコーナーです。この映画ウォッチ超人っていうのを、なんとか魔法少女に置きかえできないかな?って一瞬考えて、『映画時評おじさん』。って、普通じゃねーか!そのまんまでしかないということに気づいて止めました。今夜扱うのは、先週ムービーガチャマシーンを回して決めたこの映画。『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [新編] 叛逆の物語』。 2011年、深夜アニメとして放映され、アニメファン以外からも熱狂的な支持を得たダークファ

    宇多丸 『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』を語る
    misui-shi
    misui-shi 2013/11/23
    ぐうの音も出ない感想。
  • ICO

    光と影のヒロイズム 「ICO」の「手をつなぐ」ことの意味 手をつなぎ、そして守るエゴ 「ICO(イコ)」とは、頭に角が生えているために生贄となることを運命づけられた少年の名だ。生贄になるべくつれて来られた城で、イコは檻に閉じこめられた少女と出会う。言葉の通じない彼女を檻から出し、影のような怪物に襲われる彼女の手を引いて、ともに城から脱出しようとする。襲ってくる影から少女を守り、少女が通れるようにルートを作る。 適切なルートを構築していくパズルのような楽しさと、光と影が織りなす風景の美しさ、余分なBGMを廃した自然音…そういったものが、このゲームの魅力として語られている。だが、それだけなのだろうか。 そもそも最初の段落で述べたプレストーリーだけで「よし、守ろう!」という気になるものだろうか。イコは、そしてプレイヤーは、なぜ少女ヨルダを守ろうと思うのか。なぜそのように動機づけられるのか…

  • CUT 2003/12 Book Review

    記憶と忘却の物語。 (『CUT』2003 年 12 月) 山形浩生 ゼーバルト『アウステルリッツ』は不思議な小説だ。たぶんその不思議さは、最初のページを読み終えてページをめくった瞬間にこちらを見つめている、動物や人間たちの目の写真のところで強烈に感じられるだろう。もしかすると、それは単にそれが目の写真だから、一瞬に見返されているようなそんな印象が生じるせいかもしれない。でもゼーバルトの他の小説でもそうだけれど、『アウステルリッツ』の写真と文章は、妙な連動ぶりを示している。なくてもいいような単なる添え物としてではなく、写真が文の一部として読まれている、そんな感じだ。この小説と似たようなものを挙げるとすれば、クリス・マルケルが撮った『ラ・ジュテ』かもしれない。『12モンキーズ』のもとになった短編映画だ。映画といっても、それは多くのスチル写真を並べ、それにナレーションをつけることで成立していた

  • 古今東西のdisや批判を集めた『無遠慮な文化史』について

    古今東西の作家や芸術家や思想家が誰かや何かをdisってる言葉を集めた名言集(?)『無遠慮な文化誌』(フランク・ミューア)の読書実況 みやも(大阪府) @miyamo_7 F・ミューア『無遠慮な文化誌』を昼間から読み続け中。近代~現代の英国の詩人・小説家・評論家どうしの作品や著作内でのdisの応酬や、出版組合がいろいろ牛耳って題名や内容に干渉してた時代の作家の出版屋への憎悪とか、作家と批評家の手紙での陰口(ときには直にやりとりしての悪口)の応酬やら みやも(大阪府) @miyamo_7 (→)アタマと口のまわる人たちの悪口のサンプル集という下世話な読み方についてはまあ現代ならtwitterや各種ブログ界隈でも見てりゃいいので、「そういう悪口を作家に言わせる、時代ごとの社会規範や文学界・出版界の状況」というものに注目してみるとけっこー歴史の勉強になる気がする。

    古今東西のdisや批判を集めた『無遠慮な文化史』について
    misui-shi
    misui-shi 2011/08/15
    エピステーメーとディスクール
  • 歴史家としてのフーコー キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle)

    Foucault as Historian キース・ウィンドシャトル (Keith Windschuttle) (Critical Review of International Social and Political Philosophy Vol 1, No 2, Summer 1998, pp 5-35, Robert Nola (ed.) Foucault, Frank Cass Publishers, London, 1998 にも再録) 要約: フーコーの「歴史」と称するものはいい加減であり、実際の歴史とは全然対応していない。実際の歴史と並べてみると、フーコー流の「知」の考古学や系譜学はでたらめ。かつて中世にキチガイがうろついていたのは、連中が人間として権利を認められていたからではなく、人間以下の動物としか思われていなかっただけのこと。精神病院に入れたのは、別に人間以下のも

  • 児童文学書評

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  • 「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波

    (美少女ゲーム年代記 - 魔王14歳の抱き枕に書いたのと同じ内容です) 批評者の言葉が創作者から見て的外れになりがちなのは、ひとつには、その仮説を実証する機会がほとんどないからという理由が挙げられると思います。実際の人間を相手にしている創作という活動は"例外が多い"ということにかけてほとんどスポーツみたいなものです。よりよい創作を行うためには、実験によって常に理論を修正し、それが追いつかない複雑な部分は身体感覚でカバーするしかないわけです。 自分でものを作るという作業に携わらない以上、批評者は「作品を作る際の自分の感覚」と「作品を鑑賞した者の反応」を照らし合わせるということができません。批評者には、後者の"外から観察できる反応"しか知ることができないのです。言葉選びのセンスとか、テーマの有効な伝え方とか、もっとも鑑賞者の心を揺さぶる演出挿入のタイミングとか、そういったことを創作者はいちいち

    「調教」される「批評家」たち - 魔王14歳の幸福な電波
  • ASTATINE:「竜†恋」評。

    "And I look again towards the sky as the raindrops mix with the tears I cry." ■ OHP:竜†恋[Dra+KoI] @サバト鍋 予定調和。物語性への叛意。 「そんなちっぽけな、そのヒトを 一目見たその瞬間。 竜は、恋に、落ちた。 高鳴る心臓をおさえられず 眠れぬ幾億の夜をすごし 身もだえ、 くるしみ、 涙に暮れて 恋に蝕まれ 孤独に蝕まれ まるで猛毒が ゆっくり、ゆっくり、 全身にまわってくように ――竜は、くるった。 ――恋に、くるった。 ――君に、恋をした。 ――呪いのような恋をした。」 「Forest」で投げかけたテーマは、Liarでは絶えてしまっても、Nitro+には息衝いているな・・・と、何となく納得したシナリオ。人生、楽しそうだ、みんな。プレイ時間1時間〜2時間程度、Nitro+最短の恋物語が展開され

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