各種の資料を調査したところ、以下がおよその発祥と考えられます。 ※回答文では「ちょぼ焼」「ラジオ焼」「たこ焼」と表記し、引用文中では原文のままの表記とする。 ※引用文中「・・・・・」は「略」を表す。 1.昭和初期、地方から「東洋一の工業地帯」「東洋のマンチェスター」大阪に工場労働者が集まってきた頃、「ちょぼ焼」「ラジオ焼」という食べ物の屋台がたくさん出ていた。それは水で溶いた小麦粉を、丸くて小さいくぼみが並んだ型に流して、刻んだコンニャク・ネギ・天かす・紅しょうが等を入れて型どおり長方形に焼き、醤油をつけて(あるいは醤油も入れて焼き)食べるものだった。屋台によっては「ラジオ焼」という名前でも売られており、球形の場合もあった。特においしいわけでもなく、どちらかというと子供向けだった。 2.1933(昭和8)年、福島県から大阪に出てきた遠藤留吉夫妻が「ラジオ焼」の屋台を始め、その後、醤油で味付
![大阪名物「たこ焼き」の発祥について知りたい。 | レファレンス協同データベース](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/511b40fe98d753a4b079f3e24f6aebc3e17147a7/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fcrd.ndl.go.jp%2Fimages%2Fogp.jpg)