社会学に関するmitsuba3のブックマーク (8)

  • 岸政彦『断片的なものの社会学』 - Kentaro Kuribayashi's blog

    まさに「断片的なもの」への興味というのはずっとあったのだし、しかし、だんだんとそういうのを忘れていってしまい、そういうのがわからなくなってしまってきているのを反省したいなと思ったりして、読んだ。素晴らしい。 断片的なものの社会学 作者: 岸政彦出版社/メーカー: 朝日出版社発売日: 2015/05/30メディア: 単行(ソフトカバー)この商品を含むブログ (11件) を見る イントロダクション - 分析されざるものたち 人生は、断片的なものが集まってできている 誰にも隠されていないが、誰の目にも触れない 土偶と植木鉢 物語の外から 路上のカーネギーホール 出ていくことと帰ること 笑いと自由 手のひらのスイッチ 他人の手 ユッカに流れる時間 夜行バスの電話 普通であることへの意志 祝祭とためらい 自分を差し出す 海の向こうから 時計を捨て、犬と約束する 物語の欠片 あとがき 岸政彦『断片

    岸政彦『断片的なものの社会学』 - Kentaro Kuribayashi's blog
  • 『ボーヴォワールは語る -『第二の性』その後』(A・シュヴァルツァー/平凡社ライブラリー)からの引用。 - 京の河童 ブログ

  • Amazon.co.jp: 上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書): 上野千鶴子, 古市憲寿: 本

    Amazon.co.jp: 上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書): 上野千鶴子, 古市憲寿: 本
  • Web Across 三浦展/MIURA ATSUSHI インタビュー

    僕の小学生時代はベトナム戦争が激しくなったころです。教師をやっていた親は選挙で社会党に投票するような人でしたし、5歳上の兄がいて、高校全共闘世代、村上龍とか、坂龍一とか、大体それぐらいの世代。だから、僕も、政治・社会に対する意識というのは早く目覚めたと思いますね。例えば1969年の東大安田講堂事件のときに、普通のサラリーマン家庭なら「バカどもが!」みたいな感じになるのだろうけど、兄は当然応援している。彼は72年に大学に入るんだけど、ちょうど浅間山荘事件があって、受験直前なのに浅間山荘のテレビ中継をずっと見てた。中学時代から『朝日ジャーナル』取ってるような兄だったから。まあ当時としては珍しくないかもしれませんが。 僕は従兄弟も含めていちばん年下なんですよ。だから全部上から情報が入ってきちゃうので、そういう意味では早熟な子だったと思います。中学時代は新聞記者になろうと思ってた。当時、ベトナム

    Web Across 三浦展/MIURA ATSUSHI インタビュー
  • 小熊研 研究プロジェクトA ブルデュー

    (※)「文化的再生産の社会学」 1964年の全労働人口の44.8%を占める労働者の子弟が全学生のうちわずか8.3%に過ぎないのに対し、たった2.8%の上級幹部職の子弟が学生の中に占める割合は15.9%にも上る。1961年の国立統計経済研究所の調査「フランスにおける社会的成功」でも、指導的エリートの3分の2が最上層の出身であることが指摘されている。進学機会が広がったとしても、社会階級ごとの進学チャンスの比率はほとんど変わらないのだ。 少なくとも中産階級・庶民階級に人々にとって、「どの社会階層にも開かれた大学」という大学の自画像は、あまりに現実とかけ離れたものであった。 学生達の反乱―5月革命の勃発― その一方で、勤勉さを武器として、中産階級・庶民階級の出身から大学への立身出世に成功した人々も確実に増えていった。メリトクラシーと、それに付随する楽観論が語るほどではないにしろ、教育の機会均等は、

  • Family and social network by Elizabeth Bott | Open Library

  • 理念型 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "理念型" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年6月) 理念型(りねんけい)または理想型(りそうけい、独: Idealtypus)は、社会学における方法概念。マックス・ヴェーバーがその著作のなかで方法的に用いて一般化した。特定の社会現象の論理的な典型をあらわす概念で、単なる類型概念ではない。とはいえ理念型を用いての類型的把握は可能である。歴史的には啓蒙主義時代の社会契約説の国家観もこの範疇に含めることができる。 一般的に理念型は帰納法や演繹により得られず、一種の発想概念であると考えられている。自然科学的定理が実験で確

  • 質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ

    とある出版企画でそういうお話を書かなければいけないので、社会学におけるいわゆる「質的研究」と「量的研究」の区別についてメモを書いておく。 結論から言うと、次のように考えるとミスリーディングである。つまり、「まずある<理論>があって、それを<実証>する手段として質的な研究と量的な研究がある」という考えである。こういう考え方は、混乱のもとであるから、避けたほうがよい。多くの社会調査論のテキストでは調査手段の選択として「質的調査」と「量的調査」を選択することがあるかのように書かれているが、少々説明不足である。そうではなく、さしあたり量的研究とその他のタイプの研究が、量的研究とどのような関係にあるのか、と考えたほうがスッキリする。 分野外の研究者からすれば見えにくいが、実際には量的研究と言っても様々である。が、現状からして、「複数のパラメータを含むモデルを構築し、それをデータに当てはめて統計学的推

    質的研究と量的研究について - 社会学者の研究メモ
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