ラジオの人気長寿番組、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」(月~金曜、午前8時30分)が終了することが17日、分かった。フリーアナウンサーの大沢悠里(74)がパーソナリティーを務め、86年にスタートした番組。30年の歴史に幕を下ろす。関係者によると、タレント伊集院光(48)が後番組のパーソナリティーを務めるという。 86年4月7日の初回放送から30年間、大沢の軽妙で、人情と愛情たっぷりなトークで中高年を中心に親しまれてきた人気番組が終わりを迎えることが決まった。関係者は4月8日の放送をもって終了のようだと説明した。 聴取率のいい番組だ。同時間帯の数字は首都圏のラジオ局では常に首位争いをしている。終了の理由は明らかではないが、4月8日は、番組のスタートから30年という節目。終了の1つのきっかけとなったと思われる。 大沢は30年間、月~金曜まで、午前8時30分から4時間30分の長い放送枠を
障害者の移動の課題などをテーマにした「バリアフリー研修会」を主催した社会福祉法人「神奈川県社会福祉協議会」(横浜市)が、全盲の男性パネリストに対し、最寄り駅から会場まで1人で来ることを求め、男性から抗議を受けていたことが29日、分かった。 男性は東京都在住のフリーライター川田隆一さん(48)。同協議会や川田さんによると、研修会は23日に横浜市で開かれ、福祉関係者ら十数人が参加した。 事前打ち合わせでは、JR横浜駅から会場まで職員が川田さんを誘導するはずだったが、直前に担当職員が人手不足を理由に「1人で来ることは可能か」と川田さんにメールで打診したという。 川田さんは「初めて行く場所で道も分からない。会の趣旨からも本末転倒」と抗議。結局、当日は職員が誘導したが、川田さんは研修会でこの事例を「課題」として報告した。 同協議会は全面的に非を認めた上で川田さんに謝罪。川田さんは「今の社会では歩道の
巨人原辰徳監督(50)が、13日に急死したプロレスラー、三沢光晴さんへの思いを語った。全日本プロレス時代から三沢さんの大ファンで、テレビ観戦はもちろん時間が許せば会場に足を運び応援。東京ドームと後楽園ホールが隣接しているため、三沢さんが時間をみつけ球場に足を運び激励するなど親交があった。 原監督が貴重な時間を割き野球以外を語るのは極めて異例のことだ。練習前、「立ち話で済ませるものではない」と報道陣をロッカールームへ呼び寄せた。 原監督 どういう状況だったか、説明してくれるかな。こういう形になり悲しい。どう表現していいか分からない。今でも信じられない。ご冥福をお祈りします。 磨き上げた技術を正々堂々ぶつけ合い、勝つ。三沢さんの王道スタイルにひかれた。「同世代の男として、尊敬できる」と原監督。大きな試合の前「胸と胸を思い切り突き合わせ、堂々と戦いたい」という言葉を好んで使うように、自身の野球観
<三沢光晴選手死去…ファン追悼メッセージ=1> ◆戦う姿勢、リング外での人間性、これ以上魅了される男が他に見当たらない。私の青春時代の象徴でもあった。疲労のピークだったと思う。決してバックドロップが原因ではなかった。ゆっくり休んで下さい。今までありがとう!(30代男性) ◆全日本プロレスのエースとしての全盛期を後楽園ホールなどの会場やテレビ中継で応援させて頂き、どんな試合でも絶対にカウント2・9でフォールを返す三沢選手から「人生、諦めてはいけない」ということを学ばせていただきました。今回、リングで倒れたという情報を知った時に、三沢光晴は絶対にカウント2・9で立ち上がってくると信じて疑いませんした。しかし、数時間後に亡くなられたという情報を目にし、涙があふれてきました。三沢選手、今までありがとうございました。貴方は最強に強かった。貴方の試合を観る事が出来て幸せでした。ただ、このニュースは悲し
全盲のシンガー・ソングライター立道聡子(27)が31日、東京・練馬区の大泉学園ゆめりあホールで公演した。公演は、同区在住の主婦や長男が通う保育園の父母らが中心となって企画・運営したもの。立道は「私のことを気にかけてくださって本当にうれしかった。ステージに立ったとたんに温かい空気を感じました」。5月20日にシングル「たからもの」でメジャーデビューしたばかりだが、7月22日に11曲入りのデビューアルバムを発表することが決定した。 [2009年5月31日17時36分]ソーシャルブックマーク
あきらめないで、夢は必ずかなうから-。ハンディキャップを乗り越え、全盲視覚障害があるシンガー・ソングライター立道聡子(27)がシングル「たからもの」(5月20日発売)でメジャーデビューすることが30日、分かった。3歳でピアノ、14歳で作曲を始め、300曲以上を書きため、高校時代からプロを夢見てきた。美しい歌声と心地よく響くサウンドが関係者の耳にとまり、チャンスをつかんだ。 「たからもの」は高校時代に作詞作曲した。かけがえのない存在を得た喜びや感謝を飾らない言葉でつづった作品で「女の子の姿が浮かび、その子の気持ちが心の中にわいてきた。いつも曲作りは最低4~5日かかっていたのに30分で完成。今でも不思議です」。みずみずしい歌声とぬくもりあるメロディーが印象的だ。 高校卒業後、デビューを夢見て、23歳の時に出場した音楽コンクールで同曲を歌った。07年にインディーズ盤を発表。昨春、ビクターエンタテ
ロックミュージシャンで俳優のダイアモンド☆ユカイ(46)が自伝「成りさがり」(5日発売、光文社)を出版することが2月28日、分かった。伝説のロックバンド、RED WARRIORSのボーカルとして、日本武道館や西武球場を満員にした“成り上がり人生”はわずか3年ほど。その後は、坂を転げ落ちるように“成り下がっていった”と転落人生を赤裸々に記している。 アーティスト活動もさることながら、特に目を引くのが仰天の女性遍歴だ。「モデル、タレント、女優など日本中の有名美女たち」とベッドを共にする夜が続いたという。目が覚めると「今、テレビに出てる女優と裸で寝ていたなんてこともしばしばあった」。 また、女優飯島直子(41)をTUBE前田亘輝と奪い合った過去も告白。約半年ほどだったが「夜は彼女の家で過ごし、そのまま翌日は仕事場に向かう毎日だった」という。幸福の絶頂だったが、2人のデートが写真週刊誌「フライデー
TBS系情報番組「ブロードキャスター」(土曜午後10時)が、9月末で終了することが27日、分かった。同番組は91年4月に福留功男キャスター(66)と三雲孝江アナ(54)のコンビでスタート。「お父さんのためのワイドショー講座」など、硬軟取り交ぜた構成で最盛期は20%前後の視聴率をマークしていた。だが、最近は12%前後と一時の勢いを失っていた。 三雲アナに代わり、04年10月からは元NHKの久保純子アナ(36)を起用したが、視聴率低迷に歯止めはかからなかった。関係者によると、後番組はバラエティー番組を軸に検討されているという。同局PRセンターは「(打ち切りが)正式決定したとは聞いておりません」としている。 長寿番組打ち切りの背景には、福留氏の高額ギャラも一因だ。ネットの普及でテレビの広告収入が頭打ちの中、各社とも番組制作費の削減を進めている。フジテレビが、小倉智昭キャスター(61)の「ハッケン
26日に自殺した元TBSアナウンサーでフリーの川田亜子さん(29)が、最後に出演したテレビ番組で自殺をテーマにした特集が放送されていたことが波紋を呼んでいる。番組は24日放送のテレビ朝日「サタデースクランブル」で、富士山・青木ケ原樹海の自殺志願者を同番組の取材ディレクターが説得する内容だった。26日に東京・港区の路上に駐車した車内で発見された川田アナは、練炭で自殺を図ったとみられている。 約15分の特集で、アシスタントの川田アナの発言機会はなかったが、それまでのコーナーでみせた明るさから一転して、硬い表情のままかすかにうなずくだけだった。コメンテーターの「自殺志願者は何らかのサインを出している」とのコメントもあった。同局は31日の放送は川田アナの後任を置かず、その後については検討していくという。 また、5月に入り、川田アナは自分のブログで再三、体調不良などを訴えていたが、自殺報道以降、80
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