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2022年8月15日のブックマーク (5件)

  • 他人も自分も不幸にするメサイアコンプレックス!根本解消と幸せのなり方

    タグ hsp 人間関係無知心の穴心穏やか恨み敏感気質沈黙が怖い沈黙恐怖症生まれてきてごめんなさい子育て イライラ相手を受け入れる自分を大切にする自己一致自己嫌悪自立できない見下される身体醜形障害心にぽっかり空いた穴子育てhsp 疲れる人といると疲れるなぜ勉強するのかメサイアコンプレックスメシアコンプレックス一人前下に見られる世間知らず人付き合い 疲れる子供人生 楽しくない人生が楽しくない仕事ばかりの人生仕事人間勉強する意味友達とは友達とは何か醜形恐怖症 メサイアコンプレックスとは罪悪感、劣等感、無価値観、低い自己肯定感などによって人を救うことで自分に価値を感じたり罪悪感を払しょくしようという心理状態です。 メサイアとは救世主のことで、メシアコンプレックスと言うこともあります。 相手の役に立てなくてひどく落ち込む相手のためにやっているのにそっけない態度を取られると猛烈に腹が立つ相手のためにな

    他人も自分も不幸にするメサイアコンプレックス!根本解消と幸せのなり方
  • 僕たちもまた山上徹也のひとりにすぎないということ|人格OverDrive

    安倍元首相銃撃事件を受けて 2022 年 7 月に 「父、 文鮮明のこと——負の現人神」 という記事を書いた。 だいたい次のような話だ。 終戦後、 天皇という家父長を失った朝鮮半島に再臨の現人神あらひとがみを名乗る教祖たちが雨後の竹の子のように生まれる。 はじめはどんぐりの背比べじみたところがあった。 けれどもそのうちの一つが猥褻なミームとしての頭角をあらわし、 感染爆発を引き起こすことになった。 そこでの僕の関心は、 それを邪悪な淫行集団として切り捨てるのではなく、 その背景にあるものを掘り下げることにあった。 その一環として、 極東の近現代史のなかに事件を位置づけることで浮かびあがってくるものを探った。 そこで言いたかったのは、 かつての日には神のために自身や他人の生をも犠牲にすることのできる 「神の子」 たちがいたということ、 それゆえに安倍元首相銃撃事件によって噴きあがった血塗ら

    僕たちもまた山上徹也のひとりにすぎないということ|人格OverDrive
  • 近藤誠氏との対峙の仕方

    以下、記憶を頼りに書いていて、裏を取っていないのでまちがってたら教えてください。 近藤誠氏と当時のがん治療のオピニオンリーダーたち(外科医)の論争を読んだのはぼくがアメリカで内科研修医をしていた1990年代後半だったように思う。 近藤氏はがんもどきの存在を主張し、なんでも切ったり化学療法をするのは間違っていると論じた。根拠となる臨床試験も参照していた。一方、当時の外科医たちは実験医学と経験主義ばかり。「切ってる俺達がちゃんと仕事してんだから文句言うな。くじ引き試験?患者で実験する気か。エビデンス?なんだそれ?」って感じで、全然議論が噛み合ってなかった。 近藤氏の意見は理路整然としていたが、当時の外科医たちはひどかった。アメリカにいたぼくはエビデンスエイスドメディシンをバリバリ学んでいたが、日の医療界は数周時代遅れに見えた。日のがん領域のトップってどうしてあんなに、、、、と大いに失望させ

  • K医師との想い出|画像診断医k

    まずお断りですが、私は「現在の」K氏の主張は全く賛同しておりません。また、彼の著書について、特に(ワクチンについて事実と異なる発信を行い不安を煽る)反ワクチンの姿勢については苦々しく思ってます。 でも、私が研修医のときには、確かに彼は、尊敬すべき点が多い医師でした。最初の著書も文を読めば概ね主張は正しく、むしろ現代の医学では当たり前となったことの記載も多いです。 しかし外科至上主義の、医師と患者の関係が完全な主従関係であった時代に、彼の言説は非常識であり、強く糾弾されました。そして、慢性的かつ高度なストレスに晒される中で、踏ん張っていた気力が、ある日ぷつっと切れたように見えました。 おそらくその大きな変節の瞬間を見た人間として、記録を残さねばならないという義務感に駆られて、noteにまとめたいと思います。 更に言うと、私は彼が講師をしていた放射線治療科の教室で放射線科研修医として1年間の

    K医師との想い出|画像診断医k
  • 共感にあらがえ - 内田樹の研究室

    はじめて永井陽右君に会ったのは朝日新聞のデジタル版での対談だった。もう3、4年前だと思う。ひさしぶりに「青年」というものに出会った気がした。デジタル版だったので1時間半くらいの対談内容がそのまま掲載された。それを再録しておく。 永井:私は仕事としてテロ組織から降参した人のケアや社会復帰の支援などをやってきました。しかし、国際支援の分野での対象者や対象地に関する偏りがどうも気になっていて。難民だとか子どもだとかそういう問題になると情動的な共感が生まれるのに対して、「大人で元テロリストで人殺しちゃいました」とかだと、それがまるで真逆になる。抱えている問題が同じだとしても、「なんでそいつまだ生きてるんですか?」て話になってしまう。そこが問題意識としてもともとありました。 今の日社会をみると、共感がすごくもてはやされていて、その状況に違和感を持っています。ただ同時に、「共感」の欠点を自分のなかで