独ダッハウ強制収容所記念館入り口(2019年12月9日撮影)。(c)Christof STACHE / AFP 【5月10日 AFP】「31C号棟」──ジャン・ベーメ(Jean Boehme)さん(73)が子どもの頃に住んでいた、ナチス・ドイツ(Nazi)の強制収容所だった建物の番号だ。当時通っていた学校は33号棟で、近くにあった監視塔が臨時のビストロになったことも覚えている。 ベーメさんは75年前の4月29日に解放されたドイツ・ミュンヘン(Munich)郊外にあるダッハウ(Dachau)の元強制収容所で育った。 ホロコースト(Holocaust、ユダヤ人大量虐殺)の物語においてダッハウ強制収容所のことはあまり知られていないが、ダッハウは戦後、別の用途で使われるようになった強制収容所の一つだ。 連合軍、その後、新生西ドイツ政府は至る所で住宅不足に直面した。このため、強制収容所が兵舎や仮設住
![自宅はナチス・ドイツの元強制収容所…独兵士息子が語る子ども時代](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/fa1ba5f4e3e8783e20cb22e7c1abeec8489fa6b1/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fafpbb.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2Fb%2Fa%2F1000x%2Fimg_ba7f814d27876afc58bf6fa0674c3b10190073.jpg)