戦時中、政府が首都移転の候補地として考えていた旧福島町を含む八女市中心部 写真を見る 中央計画素案の中で、首都の候補について記されている部分(国立公文書館のアジア歴史資料データベースより) 写真を見る 写真を見る 八女が日本の首都になっていたかもしれない。突拍子もない冗談のようだが、実は太平洋戦争中に政府が検討していた歴史的事実だ。「事実は小説より奇なり」とはまさにこのこと。当時の資料をひもとき「八女遷都論」について調べてみた。 「八女遷都論」が明記されているのは、1943年10月付の極秘文書「中央計画素案」だ。内閣総理大臣直属の組織で、戦時下の国家総動員体制の諸計画を立案した「企画院」が作成した。現在は、国立公文書館の「アジア歴史資料データベース」で公開されている。 この文書は朝鮮、中国、東南アジアにおける権益確立を目指す「大東亜共栄圏」建設を見据え、政治、経済、産業、文化、防衛など
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