戦前から指摘されていた不完全さ そもそも具体的な徳目の部分(「父母ニ孝ニ」〜「以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」)にしても、戦前すでに不完全さが何度も指摘されていた。 「教育勅語」は、1890年に発布された。これは日清戦争の前にあたる。当時の日本は極東の弱小国家だったため、その徳目も慎ましいものだった。夜郎自大な神国思想はもちろん、国際関係などへの直接的な言及もなかった。 そのため、日本が大国化するにつれて「教育勅語」を改訂しようとする動きが起こった。最終的に頓挫するものの、日清戦争後には、まさに国際親善に関する文言の起草が行われたこともあったのである。 今回、柴山文科大臣は、「教育勅語」の「今も使える」部分について問われて、「同胞を大切にする」部分や「国際的な協調を重んじる」部分をあげた。 前者もいまいち謎だが、後者はとくにどの部分を指しているのかわからない。本当に原文を読み、歴史的な文脈