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ブックマーク / note.com/kyosukehiguchi (3)

  • SNSにおける文化的変遷についての私的覚書|樋口恭介|note

    ▪これはSNSにおける文化的変遷についての私的な覚書である。むろんお読みいただいてもかまわないが、その際には、ぜひとも眉に唾してお読みいただきたい。 ▪2010年頃までのSNSは非同期的なコミュニケーションが主だった。また、2010年の時点では、転送による非オリジナルコンテンツの投稿は黎明期であり、オリジナルコンテンツの投稿が主だった。 ▪しかしながら、2010年以降はオリジナルコンテンツを投稿する文化から非オリジナルコンテンツを転送する文化へと徐々に変化し、両者の関係は逆転していく。具体的には2009年にFacebookが「いいね!」ボタンを導入し、2010年にはTwitterが「リツイート」ボタンを導入する。これによって、ワンクリックによる転送/情報拡散が可能となった。投稿へのハードルが下がったことで、ユーザー数・投稿数は増加した。なお、Twitter社のリツイート機能開発者は、リツイ

    SNSにおける文化的変遷についての私的覚書|樋口恭介|note
  • 「さようなら、日本」と書く日のこと|樋口恭介|note

    ◾︎やめられないものをやめるのは案外たやすい。 ◾︎何かをやめるために今すぐできること。それは衝動的に結論を先取りし、結論が前提になった世界で、一度小さく死ぬことだ。死んでいるのだから、やめられないという状態がまず存在しない。死んだことを仮定して過ごすのは、実際に死ぬよりもはるかにたやすい。特にSNSの世界では。SNSにおいては、「僕は死にました」と言うことが、そのままその世界での死を意味することになる。 ◾︎昨夜、東浩紀がTwitterから去った。しばらくSNS全般から距離を置くようだ。Facebookのウォール上で、彼は小さな死を宣言していた。 ◾︎これはSNSと小さな死、仮想的な死についてのエッセイだ。 ◾︎東浩紀がTwitterをやめたのは衝撃的だった。僕にとって東浩紀はTwitterの象徴だった。僕の青春は東浩紀とともにあり、東浩紀のいるTwitterとともにあった。 ◾︎アカウ

    「さようなら、日本」と書く日のこと|樋口恭介|note
  • 僕たちのゼロ年代の終わり|樋口恭介|note

    東浩紀さんがツイッターアカウントを消して、僕のゼロ年代が終わった。 2009年の頃だったと思う。当時の東さんはエッセイや論考やニコニコ動画やテレビの討論番組で熱心にTwitterを紹介していた。Twitterが世界を変え、Twitterが民主主義を実現するのだと語っていた。ustreamやセカイカメラ、DOMMUNEがサービスを開始し、Gov2.0という言葉が浸透しつつある時代だった。僕は大学三年生で、人文学を学んでいて、当時の人文系大学生がみなそうであったように、東さんの熱心な読者だった。今も付き合いのある友人たち――いぬのせなか座の笠井康平さんやエメーリャエンコ・モロゾフ紹介者の吉澤直晃さん、ほかにもたくさん――それにも、みんな東浩紀を読んでいて、東浩紀の話をすることでつながった人たちだ。 僕は東さんの影響でTwitterを始め、人文書を読み、SFを読み、テクノロジー関連のを読むよ

    僕たちのゼロ年代の終わり|樋口恭介|note
    mmsuzuki
    mmsuzuki 2019/10/26
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