タグ

ブックマーク / izumonokunifudoki.blogspot.com (4)

  • 意宇郡条:【二】 意宇郡の郷 - 2

    余戸里(あまるべのさと)。:松江市東出雲町揖屋・上意東・下意東周辺を指す。後に築陽郷となる 郡家の正東六里二百六十歩の所にある。〔神亀四年の戸籍編成によって、一里を立てた。だから、余戸という。他郡の余戸もまた、これに同じ。〕 野城駅(のぎのうまや)。:安来市能義町周辺 郡家の正東二十里八十歩の所にある。野城大神(のぎのおおかみ)※1が鎮座していらっしゃるのによって、だから、野城という。 黒田駅(くろだのうまや)。:松江市大草町の出雲国府に隣接していたと考えられる 郡家と同所にある。郡家の西北二里に、黒田村※2がある。土地の色が黒い。だから、黒田という。もとは此処にこの駅があった。そこで名付けて黒田駅という。今は東に移されて郡家に付属している。今なお もとのまま黒田の名で呼んでいるのである。 宍道駅(ししぢのうまや)。:松江市宍道町佐々布北部とされる 郡家に正西三十里の所にある。〔名の説明は

    意宇郡条:【二】 意宇郡の郷 - 2
    mn36555023
    mn36555023 2022/11/12
    とりあえず
  • 出雲郡条:【二】 出雲郡の郷

    健部郷(たけるべごう)。:出雲市斐川町の三路・神庭・学頭から松江市宍道町伊志美付近の地域を指す 郡家の正東一十二里二百二十四歩の所にある。先に宇夜里(うやのさと)※1と名付けられたわけは、宇夜都弁命(うやつべ)※2がその山の峰に天から降っていらっしゃった。 その神の社が今に至るまで、なおこの場所に鎮座していらっしゃる。だから、宇夜里といった。 後に改めて健部と名付けたわけは、纏向檜代宮御宇天皇(まきむくひしろのみやに あめのしたしらしめしし すめらみこと、景行天皇)がおっしゃられたことには、「わたしの御子、倭健命(やまとたける)の御名を忘れまい」と健部をお定めになった。 そのとき、神門臣古彌(かんどのおみこみ)を健部とお定めになった。健部臣たちが古くから今までずっと此処に住んでいる。だから、健部という。 漆治郷(しつぢごう)。:出雲市の斐川町直江・上直江付近の地域 郡家の正東五里二百七十歩

    出雲郡条:【二】 出雲郡の郷
  • 『出雲国風土記』に登場する神社一覧(神門郡)

    『出雲国風土記』の「神門郡条(神門郡の神社)」に沿った神社一覧表をまとめました。 社殿の画像および、祭神・住所・マップなどを載せていますので、参詣の予定を立てる際の参考にしてみてください。 原文についてはこちら:【神門郡条(神門郡の神社)】 神門郡とは? 神門郡(かんどぐん)とは、斐伊川下流の西側に当たり、現在の出雲市の一部(旧出雲市内の大半、出雲市湖陵町、出雲市多岐町)と大田市の一部(山口町佐津目・山口町山口)を含むエリアを指します。 参考サイト:出雲国風土記登場地(島根県公式)、神門郡(ウィキペディア) 神社一覧表(原文の内容順・25社) 弥久賀神社(みくがじんじゃ) 【比定社】美久我社 【祭神】天之御中主神 [合祀] 宇賀御魂命 【住所】島根県出雲市湖陵町大池1302-1(マップ) 【備考】式内社・彌久賀神社に比定 阿須利神社(あすりじんじゃ) 【比定社】阿須理社 【祭神】豊玉比古神

    『出雲国風土記』に登場する神社一覧(神門郡)
  • 楯縫郡条:【二】 楯縫郡の郷

    佐香郷(さかごう)。:出雲市小境町・鹿園寺町・園町・坂浦町一帯の地域 郡家の正東四里一百六十歩の所にある。佐香の河内に百八十神(ももやそのかみ)たちがお集まりになって、御厨(みくりや)をお建てになり、酒を醸造させなさった。そして一百八十日に渡って酒盛りをして解散なさった。だから、佐香という。 楯縫郷(たてぬいごう)。:出雲市小伊津町から塩津町までの海岸沿いと多久町・多久谷町・岡田町一帯の地域 郡家に属する。〔郷名の説明は、郡名に同じ。〕北海の浜の紫菜磯(のりしのいそ)に窟がある。内側の縦横は一丈半、高さと広さはそれぞれ七尺である。内側の南の壁に穴がある。穴の口の周り六尺、径二尺あり、人は入ることができない。奥行の深さは不明である。 玖潭郷(くたみごう)。:出雲市東郷町・野石谷町の一部・久多見町・東福町一帯の地域 郡家の正西五里二百歩。所造天下大神命(あめのしたつくらししおおかみ)が、天御飯

    楯縫郡条:【二】 楯縫郡の郷
  • 1