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ブックマーク / inoue-tomoya.hatenablog.com (2)

  • inoueがアメリカ経験で学んだこと - Chemical Reaction Engineering...of My Brain

    inoueのアメリカ経験−1 inoueのアメリカ経験−2 inoueのアメリカ経験−3 まとめに入る。勝間和代ではないが、3点にまとめることにする。 1.英語は、できるにこしたことはない "英語の世紀"に尽くされているかもしれないが、強調しすぎてすることはない。 i.英語の意思疎通ができなければ、滞りのないレベルに、 ii.意思疎通ができれば、より正確な意思疎通を iii.正確な意思疎通ができれば、正確な英語による意思疎通を おそらく、留学/業務において、痛い目、悔しい目に多々遭うものと思う(inoueの場合、2001年の12月の経験がもっとも悔しいものとして残っている)。そして、“あのとき、英語さえできれば・・・”くらい、ばかばかしい言い訳はない、とも思う。 これは、場合によっては職業選択に関わる場合もある。inoueは結局日部機能のあるところからしか給料をもらったことはないが、

    inoueがアメリカ経験で学んだこと - Chemical Reaction Engineering...of My Brain
    mobanama
    mobanama 2009/05/11
    "ダメだ、ダメだと言われつつも、黙々とこういう分野で世界トップレベルの技術を生み出している日本の現場に、謹んで敬意を表する"
  • inoueのアメリカ経験−1 - Chemical Reaction Engineering...of My Brain

    inoueは2001年8月から2003年9月まで、企業派遣でアメリカの大学に留学していた。id:tsugo-tsugoのhaikuに触発されて振り返ってみる。 2001年8月 アメリカ入国。 後にも先にもない、ビジネスクラスへのアップグレード。えらく贅沢気分で乗り入れた。 2001年8月末 留学先の日人会にて。 “アメリカは、西海岸と東海岸で全然違いますよ。西海岸はクレイジーですね” 2001年9月11日。 あの日。inoueはラボの実習で閉じこもっており、昼前に出てきたときに学生がたむろしてテレビにかじりついていた理由が飲み込めなかった。(WTCが崩れていく絵を見て、それが現実のものとは思えなかった。)結果、派遣元の会社への連絡も遅れた。嵐に渦中にあるものは、嵐に対して鈍感である、という実例でもあるし、危機意識がなかった、といいきっても良い。inoueが外交官に不向きなことを示した一例

    inoueのアメリカ経験−1 - Chemical Reaction Engineering...of My Brain
    mobanama
    mobanama 2009/05/04
    "Nutscrackerが、日本でいうところの忠臣蔵であることを知る。"言いたい事はわかるが、なんか違うw
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