ブックマーク / note.com/iryo (3)

  • 地方でSaaS導入支援会社を起業して3年、階段から降りられなくなった(後編)|井領明広@つづく株式会社代表

    前編はこちら|中編はこちら 謝辞前編、中編が多くの人に、読んで頂けた。素人の物書きなので、見苦しいところもあったかと思う。感謝しかない。 実は、もっと否定的な意見が出ると覚悟していた。 「上手くいかないのは経営者としてのスキル不足じゃないか」 こんな意見があってもいい。現に、その通りだ。 私は、自身が優秀な経営者だとは思わない。実際、ぜんぜんすごくない。メンタルも激弱だ。もっと経営者としてスキルがある人もたくさんいるし、javascriptがいじれるだけで、freeeみたいなものを1から作る技術も、無い。 ただ、当にSaaSが好きなんだと思う。だからこそ、矛盾が苦しいし、なんとかしたいと、心の底から思っている。 中小企業とテクノロジーの「逆相関」中小企業のIT導入は、当に手間がかかるし、相当根気が必要だ。 SaaSは、レバレッジ(てこの原理)を効かせなければならないケースが多い。そうな

    地方でSaaS導入支援会社を起業して3年、階段から降りられなくなった(後編)|井領明広@つづく株式会社代表
  • 地方でSaaS導入支援会社を起業して3年、階段から降りられなくなった(中編)|井領明広@つづく株式会社代表

    前編はこちら|後編はこちら twitterでいろんな人に見てもらえて驚いた。そして賛否両論あり、良いフィードバックが得られた。できるだけ呟かれていたことにも返事になるよう、つづきを書いていく。 思いがありすぎて、どうしても長くなってしまったので、今回のnoteを「中編」として公開した。後編は頑張って2、3日以内には投稿したいと思うので、ゆっくり待ってもらえると、嬉しい。 故郷に帰りたい私を、帰らせない私がいて私はそもそも田舎出身だ。広島県の神石町(現・神石高原町)のという小さな町の生まれである。合併前の旧町村単位での現在人口は、1800人ほどだ。 町の人口の50%以上が65歳Overの、消滅可能都市"。小学校の同級生は、私を含めて4人だけ。複式学級といって、2学年が1クラスで同時に授業を受けた。ゲーセンも、カラオケも、吉野家も、電車ですら、大学生で初体験した。 学校の校庭の中には、綺麗な川

    地方でSaaS導入支援会社を起業して3年、階段から降りられなくなった(中編)|井領明広@つづく株式会社代表
  • 地方でSaaS導入支援会社を起業して3年、階段から降りられなくなった(前編)|井領明広@つづく株式会社代表

    私は階段から降りれなくなった。 体調が悪いわけではない。筋肉痛でもなく。 「行かなくては」 と思った。 しかし、私は階段が降りられなかった。その日の仕事は、会社のスタッフがなんとかしてくれた。 私は、 私が経営する、 私の会社に、 行けなくなった。 今となっては笑い話かもしれないが、当時は最高に死んでいた。 SaaSを愛し、中小企業を愛した私はSaaSが心の底から好きだ。そして日の中小企業は、もっと好きだ。 2015年から2年間、クラウド会計freeeという会社で導入支援、セールスを行ってきた。それまではNTTデータグループの企業で、大企業向けに業務システムの営業に携わった。 元をたどれば、小学校のときから経営学が好きだった。人口2000人ぽっちの小さな町では遊ぶところも無い。漫画が読みたかった私は、図書室でプロジェクトXの漫画版を読み漁った。 経営者はすごい。無から有を生み出す。 私は

    地方でSaaS導入支援会社を起業して3年、階段から降りられなくなった(前編)|井領明広@つづく株式会社代表
    mog1394
    mog1394 2019/11/04
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