2007年7月27日のブックマーク (5件)

  • 電算写植機をご存知ですか

    電算写植機をご存知ですか。パソコンDTPが登場するまで、 印刷には無くてはならない「版下」を作成する機械装置です。 写研の「サザンナ」「サイバート」を紹介します。 まずは手動写植機「PAVO」のお話 1980年代、印刷会社などに不可欠の設備の一つが 手動写植機でした。今では出番がなくなり姿を消しています。 寅さん映画「男はつらいよ1985年」にマドンナ樋口可南子の職業が手動写植オペレータで「PAVO-J」が登場しています。

    mojiura
    mojiura 2007/07/27
    写植機の情報って、意外と少ないので、嬉しい。
  • JIS改正とMS新書体をめぐって

    このサイトについて このサイトは、複雑怪奇なパソコンの文字をめぐる問題を整理するための 備忘録として作成しました。 資料は、できるだけ個人の判断が入らないように注意を払い、 原資料に忠実であるように心がけました。 これは、個人的な見解よりも、現実認識の方が重要だと思ったからです。 そのため、作成の目的上、不要と思われるものも、そのまま載せました。 ご利用の際は、各自で個別の判断をして、取捨選択していただきたいと思います。 また、出来るだけ原資料を明示するように心がけました。 それぞれの資料にも直接あたられることをお勧めします。 PDFが主体で、フォントを全て埋め込んだために、重いものも少なくありません。 ブラウザーで表示するよりも、直接ダウンロードした方が早いかも知れません。 また、表示がぎこちなかったり、印刷に支障が出る場合は、 Acrobat Reader のバージョンを下げると改善さ

  • 活字中毒R。

    『ダ・ヴィンチ』2007年月号(メディアファクトリー)の記事「ケータイ小説ってどうなの?」より。 (「若者がケータイ小説にハマる理由」という「ケータイ小説」読者の10代の女の子たちの対談記事。参加者は、木村裕美さん(18歳)、柳沢桃子さん(18歳)、松優美さん(17歳)、中島祐乃さん(17歳)) 【司会者:『セカチュー』もやっぱりヒロインが死んじゃうでしょう? あれはどうなの? 中島:私はそれなりに感動したけど……ただ、『セカチュー』って、なんていうか「昔」の話なんだよね。ところどころわからない描写があったし……今っぽくないなあって。 柳沢:うん、やっぱり「現実的」じゃないんだと思う。リアルかどうかって大事だよね? 一同:うん。 柳沢:出会い系とかレイプとか、ちょっとグロい現実の話が、もしかしたら近くであるのかもって思うところにリアリティがあるんだと思う。 司会者:えっ? でも出会い系

    mojiura
    mojiura 2007/07/27
    縦書きより横書きのほうがよいのですね……。
  • 印刷会社が教える秘密の裏技:日本初! DNA印刷 - livedoor Blog(ブログ)

    当社(恒信印刷)ではDNA印刷を開発しました。 人、動物の毛や爪から抽出したDNAを印刷インクに混ぜ印刷するという方法です。 印刷した部分からはDNAが再抽出できます。 インクも印刷方法も通常のオフセットと違い少々特殊なもの、組み合わせです。 DNAの抽出は当社ではなく専門の研究所のご協力をいただいてます。 DNAをインクに混ぜるところから印刷までは当社で行っております。 この件は特許出願中です。 ご興味のある方、取材に関してはこちらまで TEL:03-3964-4511 恒信印刷株式会社 担当:吉田 紙や印刷する面積など細かい規定はありますが、通常の印刷物としてお受けできます。 印刷会社 同人誌印刷 オフセット印刷 恒信印刷 同人誌印刷 コーシン出版 一般総合印刷 恒信印刷 印刷用語辞典 印刷裏技サイト 学生専門印刷サイト SEO webマーケティング戦

    mojiura
    mojiura 2007/07/27
    なんだかすごいアイデアだ。
  • 風月堂社史本文-江戸

    第1部 風月堂の創業 〜江戸から明治維新まで 第1章 風月堂の名の由来 ●大坂屋の創業 洋菓子の代名詞ともいえる風月堂。伝統を汚すことなく誠実と真心をモットーに営業 *1) を続け、ファンに支えられてきたこの風月堂は宝暦3年(1753)、大住喜右衛門により 創立された。 風月堂の初代喜右衛門は小倉姓を名乗り難波(現在の大阪)で商いをしていた。確か な記録はないが、大坂にいた当時は菓子商ではなく多分呉服商であったと思われるが、 誰もが青春時代に抱く大きな夢の実現を目指したのであろうか、また、江戸には幕府 の直参や参勤交代の大名はもとより、全国各地から商人や職人が多く集まってきたこ とも耳に入っていたこともあったのだろうか、延享4年(1747)、17歳という若さで喜 右衛門は単身大坂難波より江戸に下る決意を固めた。 米の凶作、過酷な年貢の徴収などにより、全国的に農民一揆が続く時代だった。 江戸

    mojiura
    mojiura 2007/07/27
    風月堂の「風」の由来について、本当のことはよくわからない、という話。