昨日は出かけた先で実はひどい症状に見舞われて焦っていた。報告するのを躊躇った。 駅ビル内の大型書店での出来事だった。分野にも判型にも関係なく、書籍、雑誌の区別なく、どの棚の前に立っても、どの本を手に取ってページを捲っても、皆同じような「顔」に見えてしまったのだった。そんなことはかつてなかった。 一見なかり凝ったように見える背や表紙や帯の本でさえ、よく見ると、そしてちょっと中を覗くとみんな同じように見えてきた。その大型書店に並ぶ数十万冊の本や雑誌すべてが、鈴木一誌に倣って言えば、言葉とのズレと不安にふるえているような錯覚(?)に囚われた。本や雑誌が「大量生産品」であることを心底実感してしまったということか。 ここ二週間あまり、『聚珍録』を枕にして寝ている(これは比喩です。念のため。)せいに違いないと思った。 「絶対文字感と真性活字中毒者」(2008-03-14 ) 「10年前のタイポグラファ
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