「あそこに行ったら、あれ食べなきゃ」というような名物は全国にある。いわゆるご当地グルメというやつだ。 まあ、すべてがうまい、というわけでもないけれど、それなりに旅情に浸ることはできると思う。 同じように、ダム好きたちの間にも「あそこに行ったら、あのダム観なきゃ」というご当地ダムがあって、ダムめぐりのルートを決める軸になっている。 そこで今回は、四国のご当地ダムをいくつか紹介したい。
「あそこに行ったら、あれ食べなきゃ」というような名物は全国にある。いわゆるご当地グルメというやつだ。 まあ、すべてがうまい、というわけでもないけれど、それなりに旅情に浸ることはできると思う。 同じように、ダム好きたちの間にも「あそこに行ったら、あのダム観なきゃ」というご当地ダムがあって、ダムめぐりのルートを決める軸になっている。 そこで今回は、四国のご当地ダムをいくつか紹介したい。
ご存じ、東京都台東区にある上野公園。その広大な敷地には、上野動物園を始め様々な文化施設が並んでおり、春には桜の名所として知られる憩いの場である。 博物館や美術館の類も数多く、その展示を見に行かれる方も多い事だろう。今回はそれら上野公園の界隈に建つ博物館の所蔵品……ではなく、建物を改めて見直してみたいと思う。 じっくりと、腰を据えて見るべき建物が多いんですよ、上野には。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:三浦半島の最高峰「大楠山」からの眺めが凄い > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter
新宿駅南口のタカシマヤは、実は渋谷区千駄ヶ谷なので行政的には新宿じゃない。でもあそこって「新宿」だよねえ。 そんなふうに、行政的な区割りと、頭のなかにイメージとしてある街の範囲は違う。しかも一人一人違う。 みんなの思う街の範囲はどんななのか、新宿について聞いてみました。
長崎の沖合5kmほどのところに、かつて炭鉱で栄えた「池島」という小さな島がある。炭鉱だった島といえば、同じく長崎の端島、通称・軍艦島が有名だが、そちらが1974年に閉山したのに対し、こちらは2001年に閉山。ギリギリ21世紀まで営業していた。 池島には現在も人が住み生活している。が、産業がなくなった島はその後どうなっていくのか。そこにはなんとも独特な景観が広がっていた。
古い看板や商店には、今の書体とは違う独特の文字が使われていることが多い。時々そういうのを見かけると、思わず写真に撮ってしまう。 今回、メディアセブンという施設でまさにそういうワークショップをやるらしい。みんなで街中の文字を集めるのだ。行ってみたらすごいことになっていました。
神田川にはなぞの洞窟がある。 それらは分水路とよばれるもので、じつは以前もその中に入ったことがあったりする。 今回はそこに再訪し、こころ残りとなっていた謎について迫ろうという内容です。ただ、前回が5年も前のことなので、その記事の内容は前提とせず、あらためて分水路というものについて一から紹介したいと思います。 (三土たつお) 分水路との出会い まず、分水路っていうものがけして特殊なものじゃないってことを説明したい。 というより、すでに出会っている人も多いのだ。たとえば東京の中央線や総武線で通勤通学している方。水道橋駅付近になにか妙なものがあるのに気がついたことはないでしょうか。
ワインを手ごろな価格で満足行くまで飲めて、それに合うおつまみに苦労しないのは何と言ってもサイゼリヤだろう。 しかし最近、その他の一般的なファミレスで飲むワインもアツいような気がする(常温だけど)。 ビールより比較的手ごろな価格であり、フードメニューもワインと合う物が多くなってきているような気がするのだ。ワインでせんべろ(1000円でべろべろに酔える立ち飲み屋や居酒屋)として楽しむことができるかもしれない。 「ファミレスでせんべろ(ただしワイン)」をテーマに、5つのファミレスをまわり、1000円で実現するワインとフードの魅力的な組み合わせを模索してきた。
世界的に見て価値の高い文化財や自然を総合的に保護し、後世に受け継ぐ目的で1972年に採択されたユネスコの世界遺産条約。 2012年12月現在、世界遺産リストに記載されている物件は962件に及ぶものの、そのうちの半分近くがヨーロッパに存在するという偏りがある。これだけの数があるのだから、誰もが知っているようなメジャーな物件もあれば、マイナーな物件もあるだろう。 その世界遺産密集地帯であるヨーロッパのうち、今回はスペイン北部のあまり知られていない(と私が思う)世界遺産にスポットを当てて紹介したい。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビ
今回の記事は「すげー!」しか言ってません。しょうがない、ほんとにすごかったんだから。 案内してくださった方も、最初は「こいつ、なにか批判記事でも書くんじゃないか」と心配していたようですが、ぼくが始終「すげー!」しか言わなかったので「こいつはそういう奴じゃないな」と思い直したようです。 しょうがない、ほんとにすごかったんだから。
ロンドンといえばテムズ川。パリといえばセーヌ川。 どちらも街の顔として大きな川が東西に流れる都市で、川のクルーズは定番コースとして観光ツアーに組み込まれることが多い。 そんな川の街の小さな運河では、いまも現役で運河周りの古い設備が動き続けていた。しかも、古さのレベルが東京とは違っていた。なんたって、産業革命の時代から歴史があるのだ。
自分の不注意で転んでケガをしても 「転ぶような道を作る方が悪い」 と文句をつける輩がいる昨今、世の中のいろんなものが過剰にガードされている。 ところがどっこい、壱岐に行ったら超弩級の危険箇所でも柵なんかまるで無いのだ。もう、ちょっと油断したら簡単に死ねる場所がウジャウジャある。 その凄まじさをレポートします。
「チェーン店B級グルメ メニュー別ガチンコ食べ比べ」という本が10月末に双葉社から発売された。なんと、著者は僕だ。全国書店及びネット書店で買える。Amazonのページはコチラ。 この本を書くために、4年分の連載原稿や写真、メモを整理し、更に半年以上毎日のように外食をして色々なメニューを食べ比べた。中には不味い物もあったが、これは!と思う光るメニューをいくつも見つけた。それらをどうしても紹介したい。 ページの都合で紹介できるのはほんの一部だけど、今回はそういう個人的なお気に入りメニューを紹介させていただきます。 あばよ涙、よろしく勇気、こんにちは松本です。 1976年千葉県鴨川市(内浦)生まれ。システムエンジニアなどやってましたが、2010年にライター兼アプリ作家として自由業化。iPhoneアプリはDIY GPS、速攻乗換案内、立体録音部、Here.info、雨かしら?などを開発しました。著
1980年生まれ埼玉育ち。東京の「やじろべえ」という会社で編集者、ライターをしています。ニューヨーク出身という冗談みたいな経歴の持ち主ですが、英語は全く話せません。 前の記事:少ない量でもバイキングっぽくなる方法 > 個人サイト Twitter (@noriyukienami) その珍スポットの名は「ハウパーヴィラ」。またの名を「タイガーバームガーデン」という。軟膏薬のタイガーバームでたんまり儲けた胡兄弟が、その儲けた金を惜しみなく注ぎ込んだブルジョアジーな珍スポットなのである。 日本の珍スポットといえば、ちょっと変わり者のおっちゃんが手作りで運営しているイメージだが、ここは逆にセレブリティな珍。とにかく珍なるモノに対し、金に糸目をつけない感じが逆に清々しい。 珍スポットのワールドカップがあったら、おそらくシンガポール代表はここだろう。
佐渡島にいったのでお約束の金山観光をしに行こうとしたら、地元の人から、ギリシャみたいな場所があるから、そこもぜひ観た方がいいと教えてもらった。 佐渡金山とギリシャ、どうにも結びつかない二つの単語だが、確かにそれは存在していた。
……暑い。9月になってもまだ暑い。ようやく朝晩は涼しくなってきたものの、むあっと蒸す昼の暑さは相変わらずで、ホント嫌になる。 あまりに長くそんな日が続くので、私はいてもたってもいられず富士山へ向けて原付を走らせた。そう、洞窟に入る為に。 1981年神奈川生まれ。テケテケな文化財ライター。古いモノを漁るべく、各地を奔走中。常になんとかなるさと思いながら生きてるが、実際なんとかなってしまっているのがタチ悪い。2011年には30歳の節目として歩き遍路をやりました。2012年には31歳の節目としてサンティアゴ巡礼をやりました。(動画インタビュー) 前の記事:80年前のモダニズム「サヴォア邸」を見に行った > 個人サイト 閑古鳥旅行社 Twitter
埼玉生まれ。電子書籍『初恋と座間のヒマワリ』(リイド社刊)発売中。最近、ほぼ毎日ブログを更新していますので、良かったら読んでください。 前の記事:20年前のノートを盗み見る > 個人サイト 日々の凧あげ通信アネックス ……というわけで企画変更。以前から行ってみたかったところに、行くことにした。 それは、私が初めて東京暮らしをしたアパート。 皆、意外と行かないんじゃないだろうか、前住んでいたところって。 私も一度も行ったことがなかった。 1996年。私は埼玉のはずれに住んでいて、東京の出版社に就職して、若者向けカルチャー雑誌の編集者をしていた。通勤時間は片道2時間、往復4時間。父が病気で実家が大変だったので、雰囲気的に出ていけなかった。仕事は忙しく、毎日終電まで作業をする、徹夜もしばしば。帰るのが面倒で、サウナに泊まることも多かった。サウナに入ると、身体の疲労のせいか、心臓が信じられないほど
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