直近のストによる開催中止は1999年4月3日。その日に予定されていた阪急杯は、翌週行われた。 以来、24年ぶりの開催中止かと危ぶまれていたが、調教師会とJRAは3労組によるスト突入という結果を踏まえたうえで調整を行い、開催を決定。妥結した全馬労の組合員のほか、組合非加入者や、定年や途中で退職した経験者などの補充員らを動員することにした。さらに、調教師がヘルメットを被って自らパドックで馬を曳いたり、他厩舎の馬を曳く調教師も現れたりするなどして、18日の開催が行われた。これは「離れ業」とも「ウルトラC」とも「斜め上の方法」とも言われたが、自身の担当馬が出走するからと、仕事をした3労組の組合員もいたようだ。人繰りがつかず、中山で2頭が出走を取り消したが、大きな混乱もなくレースが行われた。 ストを決行した3労組も、翌19日、日曜日はストを解除することになった。 どのレースも大事だが、特にその週末は