アマゾンの先住民ピダハンの村に伝道師として赴いたにもかかわらず、彼らと暮らすうちに無神論者となってしまった。さらにピダハン語の研究で、言語学者としても主流派から放逐された。そんな著者によるノンフィクションである。 言葉の本はおもしろい。言葉について言葉で説明しなければならない、という原理的な困難に遭遇するからだろうか。ピダハン語以外は通じないため、「ピダハン語を学ぶためにピダハン語を覚えなければならない」という堂々巡りに陥った著者の困難もそれだ。 やがてわかってくるのだが、ピダハン語には数がなく、左右の概念も、色名もないという。つまり私たちの言葉と基本設定が違うらしいのだ。 「左を英語でなんと言う?」なら「left」と答えればよい。しかし左右の概念がない言語で、例えば左手をどう表現するか? これはちょうど、前述した「ピダハン語を知らないとピダハン語が学べない」と同じ構図だ。問いと答えが循環