ちゃうわ。 アルガスやウィーグラフやディリータは、現実的といえば聞こえは良いが、要するに現実に妥協しとるんや。 あの3人は、踏みつけられる事に怒ったまでは良かったが、自分が踏みつける側に回る事を正しいと思い込んだ。 意地の張りどころを間違えて、ただ甘さを捨てる事が世の中に処する道と思い込んだんや。 ラムザが、ルカヴィに堕ちたウィーグラフを惜しんだのは、理想を掲げていたウィーグラフが現実に負けて変節してしまったからや。 それは処世術という意味では正しい方向でも、信義は失う。信義を失えば、友を失う。愛を失う。 自分を通す強さが無いために、節を曲げ、弱い者を踏みつけて自分のためだけに利用したから、彼らは地位を高めた代わりに孤独を深めたんや。 エンディングのディリータなんてその帰結や。アルガスやウィーグラフより上手くやったつもりになっても、結局のところ誰もそばに残らん。 ラムザは現実に逆らって甘ち