千利休は、独自のすぐれた美意識によって道具類の形を定めたり、本来茶の湯の道具でなかった品々を茶の湯の道具として「見立て」て、茶の湯の世界に取り込む工夫をしました。 この「見立て」という言葉は、「物を本来のあるべき姿ではなく、別の物として見る」という物の見方で、本来は漢詩や和歌の技法からきた文芸の用語なのです。利休は、この文芸の精神であった「見立て」の心を大いに生かして、日常の生活用品を茶道具に採り入れました。たとえば、水筒として使われていた瓢箪を花入として用いた逸話や船に乗るために出入りする潜り口を茶室のにじり口に採り入れた逸話などは有名です。 利休に留まらず当時の茶人たちが、喫茶用としての茶碗といえば唐物の茶碗が主流であったのに対して、朝鮮半島の雑器であった高麗茶碗をわび茶の道具として採り入れた精神や、当時の南蛮貿易でもたらされた品々を茶道具に転用したのも、「見立て」の精神だといえるでし