『翔んで埼玉』の“翔び方”とは別物だったはず でも映画を見た観客としてこれだけは言える。『翔んで埼玉』の公式アカウントが「な、な、なにこのコラボ!!!そういえば#高須先生もいつも翔んでいらっしゃいますもんねぇ…。 」と高須クリニックとのコラボ企画を紹介する時、僕たちの心はもう翔んではいない。差別のシステムを透視図法のように寓話で解き明かし、分断された階級意識の中の対立、そして革命後のビジョンまでもナンセンスな笑いの中で語る鳥のような視点はもうそこにはない。 「高須先生もいつも翔んでいる」と公式は語るが、『翔んで埼玉』を見ている時に感じたあの懐かしい浮遊感、作品が描かれた80年代の文化を彷彿とさせるパロディとパスティーシュ、価値相対主義の最も良質な部分は高須院長の『翔び方』とは別のものだったはずなのだ。そんな所には着地しない、もっと高いところまで上り、遠くまで心を翔ばすという約束のもとに、僕
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