先日、Vtuberについてのnoteを久々に書いたところ、多くの好意的な反応をいただいた。その中で、「月ノ美兎の散歩神の動画を早く見てほしい」という声を複数いただいて、そこから書き始めたものである。 前回のnoteの心残りだった点が1点ある。それは、VtuberをVtuberとして続ける理由を持っている人が思いつかないような話し方をしてしまったことだ。 先日のnoteを出した後、ある方との話の中で言われたことがある。それは「Vtuberはあくまでfacerigなどの道具に過ぎないのであって、あくまで中の人の魅力を絵などでサポートするものではないか」との意見をもらった。 特にストリーマーとしてVtuberを見ている人であればこの意見はもっともである。ただ、ここから描くのはそうではない、バーチャルユーチューバー独自のコンテンツの側面である。 はじめに バーチャルの桑田佳祐モデルは可能か? みの