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  • 百人一首の撰者は藤原定家にあらず: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 国文学研究資料館の創立50周年記念式典の基調講演で、田渕句美子さんは、『百人一首』の撰者が藤原定家ではないという内容の講演をされ、オンラインで公開されていたため、私も興奮しながら拝聴していた。文学史を塗り替えるこの衝撃的な説は、2020年に既に論文として発表されていたようであるが、この基調講演ではじめて知った人も多かっただろう。私も噂には聴いていたが、元の論文を読んでいなかった。しかし、この説はまだまだ知られていないだろう。なにしろ、教科書の文学史を書き換えなければならな

  • 近世における陽明学: 忘却散人ブログ

    わすれもの、うせものがたえない毎日を送る忘却散人(飯倉洋一)のブログです。2008年3月スタート。日近世文学。 軽い読み物として、推敲もなしに書いていますので、学術論文などへの引用はお控えください(どうしてもという場合は、事前にコメント欄にでもご連絡下さい)。エッセイなどでの引用やSNSなどでのリンクはご自由にどうぞ。 中野三敏先生が和リテラシーの回復を唱えるのは、活字になっていない書物群に日の思想・文化をとらえる重要なものが見出せるという、博覧ならではの経験知によるところが大きい。 近年、近世の思想の柱は朱子学ではなく陽明学だったのではないかという、挑発的な説を提出しているが、これも活字になっていないから拾ってきた用例が少なくない。たしかに知識人というものは、新しい思想に敏感であること、いつの時代も同じであろう。「近世に於ける李卓吾受容のあらまし」(『国語と国文学』2011年6月

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