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教育に関するmorita_nonのブックマーク (4)

  • 「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)

    逃げ方、避け方、守り方 (id:reponさん) いじめに耐える必要なんか無い。 学校なんか行かなくていい。 嫌な集団に取り入る必要はない。 そんな集団に属さなくても、その子が生きられる集団はいくらでもある。 それが、今のその子には見えていないだけなんだ。 http://d.hatena.ne.jp/repon/20080407#p1 逃げ上手は生き上手 (小飼弾さん) まずは逃げろ。追っ手の手の届かぬところまで。 そして自分を変えろ。強くたくましく。 順番を違えてはならない。つらい現実にいても、それに耐えているだけで自分を変える余裕はなくなる。そうしているうちに、逃げる余力さえなくなってしまう。 かっこ悪くてもいい。卑怯者でもいい。 まずは、逃げろ。 http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51031057.html けれども問題は、逃げた先に

    「逃げよ。しかし逃げながら武器をつかめ」 - 登校拒否への道(とうこうきょひへの みち)
    morita_non
    morita_non 2008/04/09
    闘争としての「場」を減らす方向で何とか。
  • 歴史修正主義と「国民の物語」 - 虚構の皇国

    id:D_Amonさんのブログで知ったのだが、「歴史修正主義」の定義をめぐって論争が起こっているようだ。政治学的定義は苦手な領域なのでなかなか参戦できないのだけれども、(今は亡き)「新しい歴史教科書をつくる会」が掲げた「国民の正史」「国民の物語」について、知人の編集者から興味深いテキストを教えてもらったのでここに紹介します。 歴史教育と「国民の物語」 穴木黒助 「国民、国家、ないし運動のイデオロギーの一部となった歴史は、実際に民衆の記憶に貯えられたものではなく、その役割を担った人々によって、選択され、書かれ、そして制度化されたものである」(E・ボブズボーム) 「新しい歴史教科書をつくる会」理事として蠢動している坂多加雄(早川註:故人)は、その著書『歴史教育を考える』(PHP新書、1998年)で次のように述べている。 「歴史教育には子供たちに歴史的な事実を知らせるという使命があるが、そうし

    歴史修正主義と「国民の物語」 - 虚構の皇国
  • 教科書がないカナダの小学校 その2

    で言ういろいろな科目が一緒くたのカナダの小学校の授業であるが、理科と工作も一緒に学ぶようである。 「自宅で使った缶やパッケージを子供に持たせてください。どういうものが浮いて、どういうものが沈むのかを実験させます。」 というレターが学校から来た。 空き缶やら、シリアルの空き箱、ペットボトルなど、を持たせた。 一通り、実験をしてから、子供たちに船を作れという。 勿論船を浮かせたい子供たちは、それぞれの実験で浮いた材料をおのおの工夫して、船を作る、という流れである。 なるほど。単純に実験するだけでなくて、そこで得た知識を元に、ものを作らせるというのは、能動的である。 家に持って帰ってきた娘は嬉しそうに説明してくれた。 娘「このね、楽天号に旗を立てたんだよ!」 (また渋い名前をつけるな、娘よ) 私「この船、楽天号っていうのか?」 娘「違うよ、ラクテンゴーだよ。」 私「楽天号だろ?」 「Rec

    教科書がないカナダの小学校 その2
  • 教科書がないカナダの小学校

    カナダの小学校の低学年では教科書が無い。 どんな風に授業を進めているのかというと、こういうプリントを配って課題をこなしているようである。 興味深いのは、日で言う時間割というものが曖昧ということである。 今から、国語、算数、図工、というように単位ごとに区分けされているわけではないようだ。 先のプリントを見ると、まず英文を読ませているが、出てくる単語の数をカウントさせている。 で、話の内容を絵に描かせている。なるほど、文章の読解力も絵を見れば、ある程度わかるというものだ。 子供にしてみれば、単に文章を読む、という授業は考えただけでウンザリであるが、絵を描く、となると俄然張り切る、ということなのであろう。 ほかにも、足し算の結果で色を塗り分けたり、 紙の雪だるまを実際に作りながら、その作り方を書いていくなどである。 こうした教材も、それぞれの先生の工夫なのである。 一クラス20人程度までで、ア

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