ブックマーク / voleurknkn.hatenadiary.org (5)

  • 2007-02-13

    読書感想文を書きます。今回のお題はジャック・デリダの“Mal d’archive”。95年にガリレー社から出版されたこのは、アーカイブという概念をひとつの軸としてフロイトを論じているものです。まず一読して、技術やメディアの問題に関する自分の興味関心からいって、これをいままで読んでいなかったのはきわめて重大な手落ちだと痛切に思い知りました。またそれだけではなく、その分析というか、フロイトの議論に寄り添いながら同時にそれを切り刻んで少しずつ新しい光景を示していく手際は、その他の多くのデリダの著作に比べても、格段に鮮やかであるように思いました。まだ読み終わってからそれほど経っていない(一週間くらい前ですが)というのもありますが、いまのところ、この“Mal d’archive”はデリダの最高傑作の部類に入る、というような印象を持っています。 この“Mal d’archve”というタイトルをどう訳

    2007-02-13
  • スティグレールから見たデリダ - 生きてみた感想

    スティグレールの来日が数日後に迫っているということと、ほかにもちょっときっかけがあって、ここ数日、スティグレールについてあらためてつらつらと考えていたので、そのことについて書こうと思います。内容は、スティグレールが提示している考えから遡行して、彼の師匠であるデリダを位置づけなおす、というものになるかと思います。結論を先取りして書きますが、そのパースペクティブではデリダは、二つの思想系列の交点に位置づけられることになります。すなわち、 a)ダーウィンの進化論からマルクスの唯物論へとつながる系譜 b)プラトンからはじまりカント、フッサール、ハイデガーと連なる超越論的哲学の系列 この後者の超越論的哲学の系列については、あらためて指摘するまでもないかと思います。デリダはフッサールを批判することから自身の哲学を開始させたわけですし、彼の「脱構築」もハイデガーによる西洋形而上学の破壊を別の観点からやり

    スティグレールから見たデリダ - 生きてみた感想
    moroshigeki
    moroshigeki 2010/02/06
    デリダ:音声/ロゴスはエクリチュールの事後的な効果でしかない。スティグレール:音声/ロゴスは特定のエクリチュールの効果である。
  • 生きてみた感想 - デリダとスティグレール

    フランスの思想家ベルナール・スティグレールの哲学のひとつのエッセンス(だと個人的に思えるもの)について文章を、二回に分けてアップしてきました。 「痕跡とプログラム」 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061222 「プログラムとリズム」 http://d.hatena.ne.jp/voleurknkn/20061226 その後、コメント欄でのやりとりなどもあり、スティグレールとデリダとの関係が気になる人はやはり多いだろうと思い、物質性という問題に限ってですが、デリダとスティグレールの議論の焦点の違いについて簡単にまとめた箇所をアップすることにしました。 いつものように注意書き。 1、文章の属性 全体で原稿用紙換算で1000枚ほどからなる修士論文の序論部分のほぼ最後の方の一部。 2、読む際の注意 序論はフッサールの「幾何学の起源」とそれに付されたジャック・

    生きてみた感想 - デリダとスティグレール
  • プログラムとリズム - 生きてみた感想

    前回アップしたスティグレールの技術哲学に関する文章は、残念ながら稲葉氏のリアクションは(さすがに)もらえませんでしたが、幸いにもpikarrrさまというたいへん聡明な方に読んでいただくことができ、その続きの部分も読んでいただけるようですのでアップすることにしました。 とりあえず、前回つけた注意書きの一部をここにも貼っておきます。 1、文章の属性 全体でだいたい原稿用紙1000枚程度からなる修士論文のごく一部の抜粋。 2、読み方 だいたいは独立して読めるものですが、それでも基的にはある全体のうちの部分ですので、その全体をそこはかとなく参照している部分がありますが、そこは無視する。 ※なお、前回よりも他の箇所を何となく参照している割合が多い気がしますが、その点はご容赦ください。また、文字化けしている箇所も見受けられますが、内容の理解には差し障りはないと思い、修正していくことはしませんでした。

    プログラムとリズム - 生きてみた感想
  • 痕跡とプログラム - 生きてみた感想

    『インターコミュニケーション』という雑誌の50号と51号に載っていた稲葉振一郎氏の「公共社会の基的枠組み」という文章を読みました。50号でなされているのは主にリベラリストとコミュニタリアンの対立の稲葉氏流の整理で、「へえ、なるほどねえ」と思っただけなんですが、51号では人工環境やら道具の話が出てきて、これがきわめて面白かった。公共性を人工環境と結びつけ、その人工環境の構成素として「建物」、「乗り物」、「道具」を見出し、その重心の変化を通して公共性の条件の変化を見出していく。これは素晴らしいと思った。さらに、コミュニケーションの次元における言語の地位を相対化し、接続を自己目的とする音声のやり取りと、言語特有の形式化作用を区別しつつ、コミュニケーションの原的場面をまずは前者に見出し、後者をコミュニケーションの歴史的変遷のうちに特定の段階へと相対化する。このあたりも素晴らしいと思いました。 稲

    痕跡とプログラム - 生きてみた感想
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