前回の続きから 正戦論の近代的結実としてのグロティウス、その元はキケロにあるといわれるけど、これは実務的なローマ法的な流れが主に見られているように思える。もうひとつの倫理的な側面は自然法を基盤とし、その解釈というのはギリシア哲学におけるストア学系の倫理学に依るのではないか? あたりから 正戦論が必要とされたもともとの現場である傭兵たちの戦場において、最終的に「やりすぎ」ではない線引き(ルール)とされたのは(腐敗した教会とは違った)「神」との関係だったように思えるので この場合の「神」はヴァルハラに誘うものでもあれば、もっと人格アナロジーからはずれた「自然」的なものでもある(日本だと「天」といってもいいだろうけど 自然法における自然とはおそらく神と不等号なので それがなぜストア→キケロにつながるかというと、ストア学派までにつながるながれ、ソフィストをまたいだソクラテスまでのギリシア哲学の流れ