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ブックマーク / muse-a-muse.seesaa.net (61)

  • 吉田健一の流儀: muse-A-muse 2nd

    吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖) - 予約してる長谷川郁夫さんの吉田健一がなかなか手元に来ないので、「まあこれでも読むかあ」とたいして期待せずに読んだ河出書房の道の手帖シリーズの吉田健一特集が予想以上に面白かったし、ちょっとエントリしておきたくなったので留める。 なかでも特に金井美恵子×丹生谷貴志の対談がわかりやすくおもしろかった。あとは松浦寿輝。 そこでは吉田健一の良さ・評価する人はどういうところで評価するのか?その魅力は?というとこが端的に示されていて( ^ω^)うむうむしつつ、「でも、吉田健一ブームみたいなの来てるけどほとんどの人は読んでないでしょ?特に若い人は」(「だって、若い男の立ちにとって吉田健一の小説はエリック・ロメールの映画と同じくらい退屈なんですよ?(笑)」)。 自分もそんなに読んでないので『吉田健一』というブランド、幻想、吉田健一につ

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    morutan 2016/02/06
    英国の近代文学、瓦礫の中、乞食王子、三文文士、交遊録あたり
  • 「芸術起業論」「芸術闘争論」「日本列島現代アートを旅する」: muse-A-muse 2nd

    このへんからの続きて引き続き現代アートについてお勉強していたのでヲクサンずへのお知らせも兼ねて 小山登美夫、2008、「現代アートビジネス」: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/420849770.html いちお村上隆さんのも読んでみた 芸術起業論 - 芸術闘争論 - 結論としては「まあたしかに、、それが第一線の現代アートプレーヤーの感覚ってことなんだろうけど、、それってなんかビジネスとかプロスポーツとか、入試≠クイズみたいだよね?」てことで自分的にはあまり 「柑橘類と文明」、「芸術起業論」を読み終わって|m_um_u|note https://note.mu/m_um_u/n/nf50ec2b5d394 このあと続編の芸術闘争論のほうも読んでみて、起業論よりはアクの薄い、講義的な文体(口語的な)と内容になってい

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    morutan 2015/06/27
    西洋絵画のひみつ、中野京子シリーズ、秋元雄史
  • 美術手帖3月号から「現代アートの文脈」「現代アートは流通である」あたり: muse-A-muse 2nd

    美術手帖3月号「世界の新世代アーティスト100人」なインデックス企画。あまり期待しないで見たし、作品実物で見てみないとやっぱピンと来ないだろうなあって感じだったんだけど東京都現代美術館と森美術館のチーフキュレーターの対談がおもったよりおもろかったのでメモ的に。自分的にはこれに関連する書籍(ラッセンとか村上隆、あるいはアートとビジネス・流通・プロモートを[読むもの]として積ん読ぶくまする用のエントリ)。 対談の主題があきらかにされてないまま日語でおk的なカタカナ語連発されていくのでなんとなくつかみにくいところはあるのだけど、半ば過ぎた辺りに主旨としてわかりやすく言及されていた箇所があったのでそこから引用する。 日でも現代アートの愛好家やオーディエンスがこの10年ほどすごく増えたと思いますが、いまオーディエンスに投げかけようとしているコンテンツは、実はものすごく複雑で、様々な文脈から

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    morutan 2015/04/25
    次のシリーズでゲーテの残りと吉田健一読みながらかなあ >長谷川祐子仕事の流儀、村上隆、ラッセンとは何だったか、現代アート経済学、現代アートビジネス、金と芸術、街とアートの挑戦、新たな系譜学を求めて
  • 「意味から強度」? (形式と内容について(序)): muse-A-muse 2nd

    1つ前のエントリ(内容から形式へ)関連で。最近見たものでちょっと思ったことがあったのでメモ程度に。まずはこれ 退廃芸術を世界から追放するのだ - Discommunicative 恋空が当に面白い、冗談ではなく - Discommunicative 「ガキがてけとーなこといってるだけなので捨て置け」的な内容ではあるし別に怒っても意識してもないのでどーでもいいっちゃどーでもいいのだがこういう界隈の人々のリアリティというのについてちょっと興味がある。おそらく「意味から強度へ」であり「内容から強度(面白さでありインパクト)」ってことでその元になってるのは「個人の嗜好・価値観は自由じゃないですか!(解釈は自由じゃないですか)」 → 「全てがフラットなんですよ」的な考えだと思うんだけどまぁゆとりって感じかなぁ、とか。 eigokunにしてもそうだけどこういう界隈の人々のおそろしくゆるい認識(+自分

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    morutan 2015/01/05
    反解釈 → 図書館予約
  • うつくしい日々: muse-A-muse 2nd

    君を夏の一日に喩えようか。 君は更に美しくて、更に優しい。 心ない風は五月の蕾を散らし、 又、夏の期限が余りにも短いのを何とすればいいのか。 めんどくさいの休憩的に読み始めたのだけれど思ってたよりもよかった。 父・吉田健一 - 全体はフランス翻訳家吉田明子さんの父、吉田健一に関するエッセイを集めたものを主とする。文体・文章としては「ことばの卓」ぐらい。なので特に疲れることもなく水のように読めていく。 それもあって内容的にそんなに期待してなかったのだけれど、このの良さはそういうところではなく父吉田健一に対する暁子さんの尊敬と愛情がぢわぢわと伝わってくるところにあるのだなと思い直した。 吉田健一について、その評価はびみょーなところで、世間一般からすると同世代の巨人たちに比してなんとも特徴のないおっさんという感じなのだろう 1910年 白洲正子 白川静 保田與重郎 竹内好 1911年 中村

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    morutan 2015/01/03
    酒飲みエントリように
  • 「明るい部屋」とベンヤミン: muse-A-muse 2nd

    ほんとは「明るい部屋」読みたかったんだけど図書館になかったので「まあ仕方ないかあ」と借りてみたら予想外に良かった。写真家とか人文なおっさんたちのマロンあふれる衒学文体かと思ってたんだけど。 よく「写真は真実を写してるとおもう人へ、写真というのは現像の段階から構成されているのです」みたいなのがあるし技術的にはそういうことではあるんだけどバルトはそこで「写真が真実を写していると思わせることが大事なのだ」と逆説する。 <写真は過去の存在を存在の意味を媒介することなく直接われわれに経験させる> ここで言う「意味」は現象学的な事象を認識するためのいくつかのフレームのこと。もともと「客観的」「他人により」付されている意味-物語-ものの見方によってわれわれは事象を認識できる。反対に言うとふだんはその意味のフレームによっていくらかの偏向がかかっている。 たとえばりんごの見え方にしても人と昆虫では異なる。そ

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    morutan 2014/02/23
    「複製技術時代の芸術」「写真小史」「暴力批判論」
  • E.トッド、1998、「経済幻想」: muse-A-muse 2nd

    焦点としてはEUと通貨統合、あるいは自由主義的資主義 → グローバリゼーション、ネオリベ的なあれ。そういった考えが進歩的な当然-単一の未来とするのは幻想である、という考え。家族系から統合型資主義(日独)も考えられる。 平等主義核家族(パリ)に似合った経済系もあるのかなあとかおもったけどその辺には触れず。とりあえず「単一通貨、EU、グローバリゼーション、ネオリベのゴリ押しは家族系の規定性から考えてビミョー」てのがメインの主張でそれをゴニョゴニョ論証する感じだった(論証詳細よくわからんけど あと、ロシア中国(外婚制共同体家族)、北アフリカ(内婚制共同体家族)に似合った経済系とかも特に触れず。まあ経済系は生産様式に準拠だからもともとは集団農業とかが適してたのかもだけど 自分的にはマクロ経済的出動も国に依る貿易・内需保護もタイミングの問題だと思ってるので、そういったいくつかの型と元からの家族

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    morutan 2014/02/21
    マイケル・ポーター「国の競争優位」(「国によって合う経済政策は異なる」)
  • マイケル・サンデル、2010、「これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学」: muse-A-muse 2nd

    遅まきながらサンデルの正義を読んでみた。ハイエクアンチョコで自由 → 公正 → 正義が気になったので。 結論から言うとサンデルの提示する正義や正義の分類には違和感があった。んでもたぶん日で「リベラル」と名乗る人たちにはフィットしそうな価値観だし、以前の自分だったらサンデルの影響受けてただろうなあと。 途中からだいたい分かってたけどコミュニタリアニズム(美徳、道徳)から功利主義、自由主義に対する誤解が激しいなあ、みたいな。功利主義の方は未だチェックしてないからサンデル的な功利主義=目的主義=設計主義でビミョー感あるけど。 たぶんサンデルの自由主義の理解がフリードマンかなんか(あるいは新自由主義的な単純なあれ)を基としててそれに対する反動としての道徳-美徳-慣習を持ち出してるように思った。なのでいってることはたぶんハイエクやロックが指摘してた内容と変わらない、というか、より制度、慣習、

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    morutan 2014/02/21
    ミル「自由論」、「功利主義入門」、「道徳形而上学の基礎づけ」「道徳形而上学原論」「カント入門」、「集中講義アメリカ現代思想」「正義論」、「アリストテレス入門」「ニコマコス倫理学」「自省録」
  • 上野千鶴子、1989、「スカートの下の劇場」: muse-A-muse 2nd

    とりあえずセクシャリティとそれによるリアリティ/疎外/アイデンティファイをめぐるこの辺りの話はもっと心理学的なアプローチが必要なようにおもう。 たとえば「女性はオートエロティシズムできるほど生来エロエロ」といっても女性によって出来ない人もいるし、才能のあるM男のような人もいる。 才能のあるM男の場合は一般的な女性と同じく性的場面で受け身の役割を担うわけだけどいじめられることを性的快感につなげるので従来の性規範からは外れる。 ベタなM男性イメージとしては「ふだんはエリート・権威的な役割を社会的に分担させられているが、そこで生じるコミュニケーション的な疎外を埋めるために刺激として過度に被虐的な性的役割を求める」という理解も成り立つ。でもそういった理解から外れるM男もいるだろうし、その場合、どういう心理機構なのか考えてみる過程を通して一般的に受け身な役割を担わされてる女性のその辺りの心理機構もわ

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    morutan 2014/02/15
    「ゴフマン世界の再構成」「ジンメル-生の形式」「エロマンガスタディーズ」「セクシィギャルの大研究」「家父長制と資本制」。ジンメルは内容と形式(形式の可能性)関連で(そこ抑えた上でゴフマン、バタイユ
  • 資本主義と後期近代: muse-A-muse 2nd

    「読んだ」つてもけっこう流し読みで特にヨーロッパ大全と移民の運命は500頁な鈍器だったのでそんな感じだったけどまあとりあえず。いちお読んで着想が生まれる/生まれたのが大切なので。 イギリス近代史講義を読もうと思った動機は「ヨーロッパ大全がわかりにくい」+「バークの省察だけではコモンロー+心性史からのイギリス近代資主義のテイクオフがわかりづらい」からもそっと具体的なイングランド近代史を見てみたかったからだったけど、心性史の部分は載ってなかったので(´・ω・`)ガッカリて感じだった んでも読み進めてみるとさすが川北せんせで得るものはあって4章「世界で最初の工業化はなぜイギリスだったか?」が白眉だった。けっきょくは<需要が資主義を加速させた>というゾンバルト的な見方が結論でそれはこの全体のテーマになってたようだけど。「女性と子供労働者が増えてそれまで買われなかったものが買われはじめて需

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    morutan 2014/01/26
    ギデンズ「近代とはいかなる時代か」
  • ¥地理(農業→病原菌)¥交換(経済)¥生産様式¥家族¥エートス¥制度: muse-A-muse 2nd

    期待していたのは個人・自由主義の真髄・歴史、アングロサクソンの精神史。大衆レベルから「自由」とその背景としての慣習法がどのようにつくられていったのか?そしてどのようにそれを尊重し価値として精神に刻まれてるのか?という歴史語り。 そしてそれがどのように平等と自由の価値を宥和させ「人権」を介して近代的な民主主義の形に成っていったのか? イギリスが産業革命でテイクオフした理由の基盤のところにレントからプロフィット(つまり近代資主義)に変化したからってのはあるのだろうし、その経済系・制度変化のところで価値観・エートス関わったのだろうけど、そのあたりの説明。 トッドもいってたように「イギリスというのはむしろ遅れた国で、フランスのほうがシステムとしては先行してたけどその遅れ、単純さがゆえに工業・産業化にうまくハマってテイクオフ出来た」+「オラニエ公ウィレムをオランダから迎えてプラグマティックになって

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    morutan 2014/01/22
    イギリスの近代化(資本主義、産業化、自由-民主主義、美種制度)とはなにか?→「イギリス近代史」、トクヴィル「アメリカのデモクラシー」。西欧の勃興とはどういうことか?→「国家はなぜ衰退するのか?」
  • E.トッド、「新ヨーロッパ大全(Ⅰ)」、「世界像革命」読んで、今後のお勉強流れと雑感: muse-A-muse 2nd

    「新ヨーロッパ大全」から読みだしたんだけどポストマルクスな感じのけっこう硬いで思ったより脳筋使わされた。大全読み終わった後に「世界像革命」読みだしたんだけどこっちが概説書だったし新書並みに読みやすかったのでこっち先に読んどけばよかった。。 まあ、でも概説書は攻略みたいなものだし、その解説にしたがって読むことで与件ついちゃうから、ってのはあるけど。。いや、でも今回の場合は結果的にやっぱ概説が言ってることで納得だったし、Wikipediaの解説でも十分な感じだった。実際このWikipediaは参考文献もきっちりついてていい感じに仕上がってる。「Wikipediaに書いてあることはクソ」みたいなのはあるけどこんな感じで参考文献きちんと上げられてるのは結構使える(あと芸能人の経歴とかそういうの)。 トッドの家族人類学的な見方というのは簡単に言うとポストマルクス、対マルクスをイメージしてその下部

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    morutan 2014/01/13
    アナール学派、ブローデル、マクニール、ウォーラステイン、フーコー、マルクス、ヴェーバー、デュルケーム、ブルデュー、二宮宏之、速水融、鬼頭宏辺り読んでかないと。。(丸山-福澤もいちお
  • 近世から近代初頭のなんとなくのポイントとして「西欧資本主義が特殊化し近代型国家ができていった背景とは?」: muse-A-muse 2nd

    ▽土地(戦争)から貨幣(商業)・金融へ こないだからちょっとモニョモニョしてて、それは近代初頭がなんとも捉えにくく、自分的になんか引っかかってるからなんだと思うんだけど。いちおちょっと前までで近世の終わりまでの自分なりの見方はメモっといた (自分的に)古代から近世終わりまでの見所復習: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/264513531.html ここまでは「国」(あるいは皇帝、王、諸侯)、「軍隊」、「土地」という関係が中心でそれらを覆うようにキリスト教的大義があるというだけでけっこう分かりやすい。 「王や諸侯のもとにある領域国家的なものは他国に対して戦争しかけて勝って土地や報奨金を貰うのが一番の政策」みたいな流れ。この時代はお金や金融というのは軍事-戦争の周辺の「手段」である感じだった。 金が出てくるのも「王が教

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    morutan 2012/04/21
    近世→近代に至るまでのヨーロッパの商業化(ヨーロッパ型資本主義勃興)の流れを見ていく読む読むリストとして。ウェストファリアやフランス革命を近代化と見ることへの疑義(近代化は形式的合理主義の徹底かの
  • 意味と社会のあいだ  ~ 理解社会学ら辺: muse-A-muse 2nd

    ここしばらくの興味関心がなんか統合された感じなのでメモ的に 直近だとこの辺でうなうな言ってて ゲゼルシャフトと母性  (あるいは日的市民社会と母性の話) - Togetter http://togetter.com/li/195808 「実存は質に先立つ」 されど、秘蹟の価値は…? - Togetter http://togetter.com/li/199311 独我論と言語と自意識と存在への予感(ネコ) - Togetter http://togetter.com/li/199794 基命題としては、「自他の境界がないとき、他も自もないのだから自己犠牲的利他行動をとってしまうのではないか?(そこからすると自己保全的利他意識というのは偽善であり欺瞞では?)」、ということだったんだけどすっ飛ばし過ぎなのでちょっと噛み砕いとこう。 まず最初に「ポストモダン的な野放図なエゴの氾濫というのは

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    morutan 2011/10/15
    ウェーバーとジンメルとルックマンとバーガーと、シュテルナーとサールと意味論辺りとシステム論とかそのうち。。
  • 山本義隆、2007、「16世紀文化革命 1」: muse-A-muse 2nd

    書の問題意識というのは「エピステーメー」の説明リンク先にあるような単純な進化論的視点、知の単線的進化論的視点への相対主義も含み、同時にエピステーメーとしての「科学」がいかに偶然的に時代を代表する知の体系となっていったか、ということを改めて素描しなおしているところにある。 大事なのでもう一度言うけど「進化ではなくて適応」であり「必然ではなくて偶然」なのだ、現在我々の居る科学文明とは。 科学とは科学的なエピステーメー(理論)と、その樹形図的知識を掘り下げていく技術的な知の実践といえる。前者は数学(抽象言語)や自然言語によって論証過程を経た後「科学理論」として体系づけられ、後者は実験やそれぞれの専門職でしかるべき過程を経た後に実証されていく。後者の「しかるべき」過程が複雑なため専門的な知識、すなわち技術的な知識が必要となる。 一部の理系は「科学=実験的実証」としての認識しかないため後者の過程ぐ

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    morutan 2011/10/12
    「数量化革命」(数量化と視覚化)、「ヨーロッパ精神史入門」(科学知と実存の間 cf.システムと生活世界)
  • 「人はより恣意性や感情を排したシステムに近づいていけるのだろうか」とぼんやり: muse-A-muse 2nd

    結婚とか長い付き合いみたいなのについてこないだからぼーっと考えてる。けっきょく答えはでないのだろうけど 「男ってなんで浮気するんでしょうね?」というところから、一緒にやっていく際の根拠のような話: muse-A-muse 2nd http://muse-a-muse.seesaa.net/article/224412034.html 結論としては「それを当然と思わず、その時々において、(世間や法制度的常識とは関係のない)自分達なりの根拠を厚意の交換と蓄積によって重ねていく」ということだった 「親密性の変容」は未だ読了してないんだけど 資源の有限性と共同体 ≪ Soul for Sale http://blog.szk.cc/2010/07/28/finite-nature-of-resources-and-community/ 近代以前の共同体の規範は生産関係に依存し、限られた資源を効率的

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    morutan 2011/09/13
    E.トッドよむよむメモ(3冊ぐらい)
  • 古東哲明、2005,「現代思想としてのギリシア哲学」: muse-A-muse 2nd

    前回の続きから 正戦論の近代的結実としてのグロティウス、その元はキケロにあるといわれるけど、これは実務的なローマ法的な流れが主に見られているように思える。もうひとつの倫理的な側面は自然法を基盤とし、その解釈というのはギリシア哲学におけるストア学系の倫理学に依るのではないか? あたりから 正戦論が必要とされたもともとの現場である傭兵たちの戦場において、最終的に「やりすぎ」ではない線引き(ルール)とされたのは(腐敗した教会とは違った)「神」との関係だったように思えるので この場合の「神」はヴァルハラに誘うものでもあれば、もっと人格アナロジーからはずれた「自然」的なものでもある(日だと「天」といってもいいだろうけど 自然法における自然とはおそらく神と不等号なので それがなぜストア→キケロにつながるかというと、ストア学派までにつながるながれ、ソフィストをまたいだソクラテスまでのギリシア哲学の流れ

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    morutan 2011/08/07
    「自省録」はそのうちよむ
  • 「性的禁忌」「家族」「国家」「文明」: muse-A-muse 2nd

    Women want mediocre men, and men are working hard to become as mediocre as possible. -- Margaret Mead Illusions mistaken for truth are the pavement under our feet. They are what we call civilization. Barbara Kingsolver, The Poisonwood Bible 性的行動とその決定因、またそこから発生する効果・作用の分析が生物学と経済学の臨界で生まれる。と同時に、道徳的・宗教的勧告や徴税といった伝統的手段を超えて、夫婦の性的行動を、経済的かつ政治的に協議された一つの行為に仕立てようとする組織的な作戦が現れる。 -知への意志- 個々の道徳的行為は、必ず特定の道徳的振る舞いに依拠

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    morutan 2011/07/17
    やっぱりトッドよまなきゃな、ってことで
  • M.ウェーバー、1919、「職業としての政治」: muse-A-muse 2nd

    政治とはなにか?」と問うたとき、ウェーバーは「指導行為である」とする 曰く、「およそ自主的におこなわれる指導行為なら、すべてその中に含まれる。現にわれわれは、銀行の為替政策とか、国立銀行の手形割引政策だとか、ストライキの際の労組の政策がどうだ、などと言っているし、都市や農村の教育政策、ある団体の理事会の指導政策、いやそればかりか、利口な細君の亭主操縦政策などといった、そんな言い方もできる」 しかし、 それは広い意味での、抽象的概念としての「政治」一般の定義であって、書(あるいは元となった講演)で想定される「政治」はもっと具体的なものとなる 端的に言えばそれは一般的な政治活動、「選挙によって民衆の意向を代弁をする政治指導者を選出し国政に民衆の意図を反映させる」、という政治の理想状態が機能していないという現状 あるいは、そういった理想状態としての政治活動全般に対して、滞っている現状全般を憂

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    morutan 2011/06/26
    シュミットとグラムシ。間にモーゲンソーとか挟みつつムフとか
  • Terminal Arts of Sein und Zeit: muse-A-muse 2nd

    地は定形(かたち)なく曠空(むなし)くして黒暗淵(やみわだ)の面にあり 神の靈水の面を覆ひたりき ――創世記 黒暗(やみ)の潮 今滿ちて 晦冥の夜(よる)ともなれば 假構の萬象そが閡性を失し 解體の喜びに醉い癡れて 心をのゝき 渾沌の母の胸へと歸入する。 窓外の膚白き一樹は 扉漏(とぼそ)る赤き燈(とぼし)に照らされて いかつく張つた大枝も、金屬性の葉末もろ共 母胎の汚物まだ拭われぬ 孩兒(みどりご)の四肢の相(すがた)を示現する。 かゝる和毛(にこげ)の如き夜(よる)は コスモスといふ白日の虚妄を破り、 日光の重壓に 化石の痛苦 味ひつゝある若者らにも 母親の乳房まさぐる幼年の 至純なる淫猥の皮膚感覺をとり戻し 劫初なる淵(わだ)の面(おも)より汲み取れる ほの黒き祈り心をしたゝらす…… おんみ天鵞絨の黒衣せる夜(よる)、 香油(にほひあぶら)にうるほへるおんみ聖なる夜、 涙するわが雙の

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    morutan 2011/05/07
    身体技法関連で、モースの評論もそのうちよまないと… http://bit.ly/moghXU あとは聖姓と能の身体技法、メルロ=ポンティの「自然の現象学」「知覚の現象学」、スウェーデンボルグ、ノヴァーリスの詩集