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善と人生に関するmorutanのブックマーク (3)

  • 間違った生き方があるのか、本当の生き方があるのか、わからない - finalventの日記

    ただ、関係のなかで人は「罪」足りえる。 だけど、「罪」は許されうるかもしれないのに、その「罪」を逃れることで「愛」の可能性を失うこともあるのかもしれない。 そこが生きることの難所のようにも思うし、そうした難所にある人をあまり他人事には思えない。 でも、それは、語れば、欺瞞。人は、「罪」と「愛」の括弧を外して生きなくてはならないのだから。 私はこうしたことを考えるときティリヒを思い出す。 ティリヒはなぜこんな恐ろしいことを言うのだろう。 批判者になったり、反逆者になったりすることは、それほどむずかしすぎるなどということはありません。しかし、何かに対して妥協しない、自分に対してすら妥協しないで、しかも偶像礼拝に対する神の審きを告げることはたいへん困難です。その勇気ある行為が、苦難や殉教を招くかもしれないからというのではありません。失敗の危険を含むからです。私どもの意識のなかにある何かが、つまり

    morutan
    morutan 2007/03/02
    罪の意識は弱ってるときに感じたけど、赦しを求めたことはない。いや、一度あったか。たぶんその杭は一生残っていくのだろう。あるいは、被爆のマリアが引き受けてくれたのかもしれない
  • あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記

    って感じかな、俺はね。 私は人間の人生というのは失敗するようにできているのだと確信している。 なので、成功を実感しつつ、ポジティブに生きている人間というのがよくわからない。ボルネオには私の知らない生物がいるのと同じくらい。 というあたりで、考えが止まる。 まあ、いいや、私は私なり考えてみよう。 生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。 死んだ人は帰らない。 失われた愛は戻らない。 がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。 で、あと半分だが。 自分が生きようと目論見ると、困難になる。これは多分に、自分は自分の心に嘘はつけないなというところに端を発している。もちろん、自分の心に嘘をつけないやつなんか社会に生きて

    あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
    morutan
    morutan 2007/01/25
    『自分の心に嘘をつくと、どうやら発狂するか病気になる』 | 端緒:http://d.hatena.ne.jp/fromdusktildawn/20070125/1169695957
  • My Life Between Silicon Valley and Japan - 平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って

    平野さんの公式ブログの最新エントリー「巧みに生きるか、善く生きるか、……」(是非全文読んで考えてみてほしい) http://d.hatena.ne.jp/keiichirohirano/20070121 を巡って思ったことをちょっと書いてみる。 『ウェブ人間論』の対談をしていた時にも考えていたことですが、人間は、自分の属している社会のシステムと否応なくつきあいながらどうにかこうにか生きているわけですが、そこで、「巧みに、うまく」生きているだけでは、結局のところ、満たされないんじゃないかという気がします。それは直接には、僕自身を振り返ってみてのことですね。 巧みに生きる、ということについて言えば、梅田さんがいみじくも「サバイヴする」という言葉で表現したように、今の社会は、ノンキに関わって生きていこうとするためには、複雑になりすぎているんだと思います。ITに関してもそうだし、経済にしてもそう。

    My Life Between Silicon Valley and Japan - 平野啓一郎さんの「巧みに生きるか、善く生きるか」を巡って
    morutan
    morutan 2007/01/23
    「善く生きるのはサバイブの後(とにかく生き延びてくれ)」というのは真摯な姿勢だなと思う。しかし年をとればとるほど人は保守的・現状維持になる。その意味ではそのまんま東氏の愚直さはすごいなと思う
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