個人としての男、対性との関係の男、公と関係の男、がありそうだ、とか洒落でかきそうだが、公と関係の男というのは矛盾しているような感じがしている。公との関係においては、人に還元されるのでないか。しかし、そこになにか微妙な領域があり、たとえば徴兵といった問題がある。日本の場合、フェミニズムは広義に左翼的平和主義にフィルターされているため、女性が軍に存在するべき論みたいものが出てこない。 公と個人の関係は対応しているのだから、個人としての男、というのも矛盾がありそうには思えるが、ここには暗黙の内の是認があるだろう。むしろ、性というのは、対性との関係から個人がそげおちた部分というのがどうしても存在する。 対性における男というのは、ようするにそれは家族幻想に吸着される(ライフサイクル論か?)ので、つまりは、「父としての男」ということになる。女の場合は「母としての女」だ。だが、対性の関係性はそうした世代