1 東北勢が見てきた遙かな夢 和歌山県出身の竹田利秋氏が母校國學院大學の先輩から乞われて東北高校のコーチに就任したのが1965年。監督となり1968 年、夏の甲子園に出場するが、東北勢のチームが西日本のチームに完全に呑まれている姿を見て、東北高校を甲子園で勝てる強豪に育てようと決意を固める。 それから20年、「大魔神」佐々木主浩投手を擁しべスト8へ進出したところで東北高校を退職して故郷に戻ろうとするが、時の宮城県知事が「竹田を宮城県から出すな」と号令をかけ、仙台育英学園高へ異動となる。1989年には大越基を擁して決勝まで進むも延長戦で敗れ,悲願は目前で潰え、30年に渡る宮城県での野球人生を終えた。 山形県代表チームが1985年に桑田・清原選手を擁するPL学園に29対7で敗れ、県議会で「なぜうちの県の代表は弱いのか」と議題にされるほどに。その後県高野連が全国の強豪校を招いて交流試合を行って、
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