埼玉医科大で性別適合手術が行われてからすでに20年が経ちました。それまでブルーボーイ事件により長くタブーとされてきた性転換手術(当時の表現)を可能としたのは、一人の医師の志でした。そして、それが「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」につながり、特例法ができて性別の取扱いの変更が可能となり、社会の理解が広がる現在までの流れを作ったことは間違いありません。 それを実現した原科孝雄先生に、私たちは感謝をしてもしきれないほどの恩があります。 その原科先生から当時のことを振り返った手記をいただきましたので、ここに公開させていただきます。 SRS事始め 最近では特別珍しくないGIDに関する報道が始めて大々的になされたのは1995年のことであった。埼玉医科大学の倫理委員会でFTMの性転換手術の是非が審議されていることが報道され、多くの問い合わせで埼玉医大の電話交換台がパンクするほどの騒ぎであった(当