『現代思想』5月号のフェムテック特集を読んで、結局この言葉と領域をいかにして奪い返せるのか、多様性に開いていけるかだなと改めて思った。「女性の身体」は女性が自らの身体に意味付与しコントロール権を取り戻す(本来のあり方として獲得する)ことが議論と闘いの焦点だったのだが、優生保護法~母体保護法の問題しかり低用量ピルの問題しかり、リプロが提起されてもなおコントロール権を十分に得ることができず、むしろ政治・行政がリプロを前に出すことを忌避したり緊急避妊薬、経口中絶薬でも同じことが繰り返されたりしているし、何より少子化対策がますます強調される流れ。 少子化対策という問題設定は時にあからさまな形をとりつつも基本的には柔らかい形、誘導的な形で女性の身体の管理を強めようとするもの。そこでブーム化し政策的に推進されるフェムテックは女性の身体の監視と管理の道具というだけでなく、女性の意識・認識に働きかける。
