なんか楽しめないアニメのジャンルってあるよね? 俺はスラムダンクやハイキューなど スポーツ系アニメが見てても楽しめなかった。 俺が実際スポーツ苦手で部活もろくにやってないし、 体育で球技が楽しめないのも関係してるように思える。 人気があったと思われる 冴えカノ、はがない、俺ガイルのようなアニメも辛い。 青春っぽいことをまともにしたことがないからとしか思えない。 能力バトルものは好きなんだけどな。 逆説的にこれらなら人生に活かせるスキルだと思うんだけど何かないかなぁ…
これもまた読んでてむず痒いんですわ 「なんでオレ、○○(ヒロイン)のこともっと大事にしなかったんだろう…」 「○○をいっぱい傷つけてしまった…こんなオレ、もう愛される資格ない…」 「けど…会いたい…!」 こう相手に思ってほしいってのが透けて見えるんだよね、異性へのなりきりって これは男女どちらも同じだね
その人はまだ疲れていた。 土曜日だというのにいつものスーツを来て社員証をぶら下げてやって来た。 「温泉とマッサージ行ってきたんですが、まだ完全にすっきりしないんです。食欲がないっていうか、味があまりしないんです。何かいいものないですか。」 と言ってきた。 疲れの症状が違うところに出てきているような気がした。 「では、これはどうですか。」 「あ、な、ま、り ですか…」 「あえんです。」 「亜鉛ですか。疲れに効くんですか?」 「亜鉛は大事な栄養素です。欠乏すると、味覚がなくなったり夜の方も元気がなくなりますから。」 「え!じゃあそれください。」 「他にもたくさん飲んでますから、食品から摂れますから食品で摂ったらどうでしょうか。」 「食品にも入っているんですか。何に入っているんですか?」 「有名なのは牡蠣です。牡蠣には亜鉛が豊富なんですよ。」 と伝えると、 「ありがとう!牡蠣食べてみます。」 と
私は結婚して5年になる。仕事はフルタイムで、できればずっと働き続けたいと考えている。最近子供を持つことを真剣に考えるようになって、妊娠・出産に関して日本社会は本当に不遇だと感じるようになった。法整備面については論じられるほど詳しくないので、いわゆる世間という面の話になるが、仕事を続けたい母親に対して特に風当たりが厳しいように感じる。しかもこの排他感情は男性だけでなく、女性にも多いことに驚かざるを得ない。 妊娠は病気ではないという言葉がある。病気ではないので治す薬はないから養生しろという人もいれば、自由選択の結果なんだから辛くても自己責任だという意味で発言する人もいる。日本社会ではどうも後者が多い気がする。マタニティマークについて、昔はできるだけ大きくという要望が多かったのに対し、近年ではあまり目立たないよう小さめにという要望が多くなり小さくなっているというニュース記事があった。(http:
ロリコンがよく言う言葉のひとつに「女がロリコンを嫌うのは嫉妬しているから」がある。 幼児より女として性的な魅力を感じてもらえないから嫉妬してロリコンを叩くのだと。 何でロリコンから性的に見られたがっていると自信満々に思い込めるのだろう。 この前は子供に着エロをさせるいわゆるジュニアアイドルを規制する動きがあるというのを嘆いているオタク向けの掲示板で、女がジュニアアイドルに嫉妬しているからこんな動きがと言っているのがいて目を疑った。 子供の頃から大人の性的欲望の対象として消費され、育ったらAV女優になる事が多いと聞くあわれな子供に何で嫉妬すると思うのだろう、だってロリコンに性的に見られているから羨ましい筈だと思っているのか、買ってるロリコンが悪役で売ってる子供が被害者扱いなのが気にくわないと言ってるのも多くいた、死ねばいいのに。
今年見た中では、一番見に行ってよかった!と思った作品。女の子の青春ドラマとして、傑作なんじゃないかと個人的には思っている。少し前に見て、友達と良さを語り合い満足していたのだけど、ここ数日のお気に入り界隈の動きを見て書きたくなった。俳句で書こうと思ったが文字数的にどうかと思ったので増田で。 クリープハイプのファンの福岡在住の女子高生4人組が主人公。福岡公演を見て、感激して東京公演まで行っちゃおうと自転車で飛び出す。女の子ロードムービー。序盤は女子高生の雑談がメイン。冒険の旅に出るときの躍動感は気持ちよく描かれるのだが、いかんせん女子高生の会話がリアル。このキャッキャウフフの状態(関門トンネルのシーンはかわいかった)が続くのか……とぞわぞわしたのも杞憂に過ぎなかった。中盤から終盤に向かってストーリーは小気味よく動き出す。根拠なくできると信じていたり、1度の成功体験で安易に大人を信用してしまう。
Serial experiments lain という作品で『わたしは偏在する』というフレーズが出てきた。 作品に関してあれこれ考察してしまうとキリがないので、とりあえず短く最近実感した出来事について書く。 Serial experiments lain(以下lainと表記)はインターネットが現代のように身近な存在となり、わたし達の生活になくてはならないもの として描かれた作品だ。(と思う) 作中では、インターネットによってつながり過ぎてしまった人達が、過度と言えるほどに不安に晒されるシーンがちらほらと見られる。 日常アニメではSNSがキャラクターたちの会話をスムーズに進めたり、絆を深めたりといったシーンを目にすることがあるが、lainでは反対に、インターネットに囚われ、インターネットに怯え、繋がる恐怖に怯えてSNS中心のコミュニケーションに恐怖心を煽られる。 放送当時は1995年あたりだ
風俗に行けという人がいる。 女の人をお金で贖うなんて考えられない。 いつしか思う時がある。俺は一生童貞かもしれないな。 で、あれば俺は、我々は、我々童貞は、「それ」と付き合わなければならない。 いかにして童貞をこじらせずに一生をすごすか、考えなければならない。 まずは、知ることだ。聞くことだ。 偏った知識が、いつしか迷妄を拗らせる。 百聞は一見に如かずという。 ならば我々は千聞、万聞をする。 我々は段階を見過ごしてきた。あるいは、知りながら無視してきた。 そういうものに興味を示すのが、格好悪く、恥ずかしいと思ってきた。 今でも、ちょっとそう思っている。 興味を持ち、ネットだけではなく、友人の そういう話を、酒の席とか、 なんでもない時に、なんでもない感じになるところで 聞くべきなのだ。 そうして、コンプレックスをある時は募らせ、ある時は解消し 何事もなく、一生を無事に終えよう。 そういう風
一年ぐらい前に義妹が出来た。 女子高からゆんゆん系女子大に通いつつも、 「私はこいつらとは違うんだ」とサークルにも入らないようなひねくれた義妹。 義妹になる前から、そんな彼女の話を嫁から聞いてはかわいいなぁと思っていた。 しかし最近になって、バイト先の小売店の10歳ぐらい年上の店長と付き合ってる事が家族にバレて、義実家がちょっとした修羅場になっているらしい。 「前の彼女も女子大生だったんだって」と嬉しそうに語ったという話を聞いて、 年下で味を占めたタイプのクズやんけと胸が痛くなる。 義妹ならもっとマシな、同い年とか2、3上ぐらいの優良物件がいくらでも見つかっただろうに。 多分ゆんゆん系の連中には彼氏がいて、自分にはいないのが悔しくて、深く考えずに付き合ってしまったんじゃないかと思いたい。 両親からも、姉からも(きっと友達からも)小馬鹿にされつつも、売れ残り独身男の脂ぎった欲望の餌食になって
私はいわゆるDD(だれでもだいすき)だ。 常に自担以外の誰かしらに沸いているし、自担以外の現場にも行くし、 なんなら〇〇くんに担降りしよっかなーが口癖でもある。 現場などで友達のお友達さんにはじめましての時は 「えっと、一応?Aくん(自担)担の子です。」 「まだAくん担…でいいんだっけ?」 のように紹介される事が多い。 正直に言うと「まだAくん担だっけ?」と聞かれて「うん、まだなんとか」って返すのはまんざらでもない。 自担は彼氏ではなく、ただ一方的にこっちが好いてるだけの存在なのに、 勝手に彼氏臭を出して返事をするのがぶっちゃけすごく楽しいのだ。 私には今現在、自担以外に数人お気に入りの子がいる。 彼らのために遠征して現場も入るし、写真も全買いする。 時には自担よりも彼らの現場を優先することさえある。 そこでよく言われるのが「掛け持ちしないの?」というワードだ。 人によって自担、DD、掛け
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