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暑くなってくるとさっぱりしたものが食べたくなる。 今話題のチリ産サーモンがスーパーで特売だったので、夕食は海鮮丼を作ることにした。(といってもこの日はサーモン丼) ところで海鮮丼を作る時って、みんな酢飯作ってる? 特に一人分しか作らない時なんて、わざわざボゥルに移して混ぜて盛りつけ直すとか面倒臭すぎるよね。この暑い中やってられない。 そこでひらめいたのが今回のハッキング。 さっそく手順を書く。 ・刺し身の切り身を適量用意。 ・ご飯を丼によそう ・(※重要!)海苔を適量用意し、一口大に手でちぎりながらご飯に満遍なくのせる ・海苔の上に切り身を均等に並べる ・醤油皿か小鉢を用意して、酢を大さじ1、醤油を小さじ二杯、わさびを適量(すこい多いくらいがおすすめ!)入れて混ぜる ・混ぜたタレを刺し身の上からぐるりとまわしかけて完成! キーポイントは海苔で、ある程度しっかりと敷いてあれば水分がそこで止ま
俺の名前サトシで昔はよくポケモンのサトシってからかわれたけど、今はセレナから直接名前呼んでもらえるからまあいいかと思える
アニオタに勧められて、色々見た深夜アニメで面白かったのは まどか☆マギカだけだった。 食わず嫌いは良くないからな。 他のは正直なところ時間を無駄にした 別のことでもっと楽しいこと有るよなって感じ。 あくまでも個人の感想です。
今日、僕は彼女の胸チラを見た。 そのとき僕は、渋谷のABCマートにいて、彼女はそこでハイカットのコンバースを試しているところだった。 たぶん25歳くらいだろうか。ぼくがみたところ胸のサイズはEより上だと思う。 具体的なサイズは分からないが、少なくともハイスクールの同級生の目線は、彼女の首より下ばかり見ていただろう。 5月末になり、段々と薄着でも過ごしやすい季節になってきている。 玄関を開けて、息を吸い込んだ瞬間、青々とした木々の香りが、これからくる6月の湿気をのせてぼくの鼻腔を刺激する。 彼女は、アスクルが運ぶコピー用上質紙よりも白いワンピースを着ていた。 豊満な乳房が、雪どけを待つウサギのようにその胸元からこちらをうかがっていた。 165cmくらいの彼女が前屈みになったとき、ぼくはたまたま彼女の目の前にいた。 僕は、持てる限りの集中力を持って、隣の棚のVANSのスニーカーの値札に向かおう
私の乳首の色はピンクだ。 年齢はもうすぐ30歳になる。 数年前、社内旅行で年上の先輩(女性)とホテルの大浴場に行った時、先輩の乳首は黒かった。 歳を重ねれば、いずれ先輩のように黒くなるのかなと思っていた。 しかしあの時の先輩と同じ歳になってもピンクのまま。 黒くなる気配が全くないのだ。 経験も人並みにある。彼氏もいる。 けれど全く変わらない。 AVを見ても、女優さんはみんな乳首が黒い。 10代の女優さんも乳首が黒い。 ついこの間、銭湯に行く機会があったのでちょっと観察してみた。 ちびっこを抱えたお母さん、黒。 中年女性、黒。 私と同じ年代の女子グループ、みんな黒。 小学校高学年、中学生くらいの若い女の子、黒。 みんな黒かった。 逆にピンクの乳首の私が異常なのかと思った。 ...なので(?)、女性の乳首が黒くてどうのこうの、例えばヤリマンだとか、悪く言ったりするのはよくないんじゃないかな。
他人が作った物を面白い楽しいって消費するだけの人生でずっと来たけど何だか年々虚しくなってきた。 昔は面白い作品沢山見て沢山知れば自分も面白い人間になれるんじゃないかと思ってた。 でもね。 違った。 世の中にいるオタクや評論家として面白い人は最初からその人自身が面白い人でそこに凝っている趣味があるって要素がプラスされていたんだ。 自分はいくら何を消費しても面白い人間にはならない。 ここは昔あったあの映画のオマージュなんだなって気づいた所でそれを面白おかしく伝えられないし自分でもうまく味わえない。 そういう知識のない普通に面白い人のただありのままを見た衒学っ気のない感想の方がよっぽど面白い。 何とかして創作活動に踏み出した所で何にもならない事が分かる。 今この増田を書いてても分かる。 おい、これ読んでりゃ分かるよな言いたいこと。 そんな訳でダラダラと消費活動だけしてつまらない人間として消えるし
「ヒロアカ」とは、現在少年ジャンプで連載中の「僕のヒーローアカデミア」という作品 内容を平たく言えば、タイトルにあるような「X-MEN」や「スパイダーマン」のような、あたかも少年漫画に登場するような超能力(作中では「個性」と表現)の持ち主が人類の大半を占める架空の現代日本が舞台 主人公はその「個性」を全く持たない落ちこぼれの少年で、ふとしたことから人類最強の「個性」を手に入れる そして「個性」を悪用する悪人(作中では「ヴィラン」と呼ばれる)を警察に代わって退治する「ヒーロー」になるべく「ヒーロー」育成学校へ入学する…という話 この「個性」というのがかなりぶっ飛んでて、物理法則とかガン無視した能力が敵味方問わずポンポン登場する 触れた物を無重力にしてしまうとか瞬間移動とか一瞬で相手を催眠術で操ったりとか念じるだけで自由自在に物質を体からいくらでも生み出せる(しかもある程度シンプルなら機械類も
私の知り合いの知り合いが、 歌歌ったり楽器弾いたりするアーテーストで こないだコンサートがあったからちょっとお手伝い頼まれたから行ってきたのよ。 みんなのチケットもいできたわ! 私あんまり何もすることなかったから、 客席でリハの様子をちょこちょこ見てたわけ。 まあ、人によりけりだと思うけど、 本番前、一通り通しでリハーサルするのね。 曲とかも、 じゃ、ここで始まって、終わってMC入ります~ って曲はしょるんじゃなくて、 一応は最後まで弾くのね。 リハも本番も聞けてなんかラッキーだったわ。 にばーい、にばーい。 今日の朝ご飯は お家で旅館朝定食と行きたいところだったけど、 そんなお魚焼いてる手間もあれなので チェーン店の朝定にしました。 鮭の皮定食99円とか! デトックスウォーターは コンサートにデトックスウォーター差し入れ持って行こうと思ったけど、 誰が作ったか分からない、 謎の水なんて絶
かわいいしエロいしマジ最高 DOAもいいよ 二次元ヲタなのに3Dモデルであそこまで俺の劣情を催させてくれるなんて、ほんと技術の進化はすごいね ロリコンだから無双と言えば大喬小喬だったけど(周瑜とか変態だよなー立ち居振る舞いとかもう変態紳士にしか見えん)、 ねねが出てきてすっげえバブみを感じた バブみって言葉初めて使うけど 豊臣秀吉が憎たらしい 俺もねねにお前さんって言われたい 無双シリーズのキャラの薄い本は、昔まだ薄い本にあんまり免疫なかったころはいろいろ見てたけど、 結局オリジナルの3Dモデルにまさるエロい虹絵を書ける人がいないから全然みなくなった やっぱ元が3Dだとそれを二次元に落としこむって難しいよなあ アイマスみたいなテューンレンダリング的なデザインならまだしも FF7の映画のティファとユフィもかわいかったなー DOAはマリーローズとほのかいいね しいて言えばあやねかなってくらいだ
増田なら誰か答えてくれそうだから、このところの俺の疑問を書く。 動物の体って、有機物からエネルギーを取り出せるようになってるのマジですごいと思う。神が進化させたとしか思えない。 それで、使われなかったものは排泄物として捨てられるようになってる。これも当たり前だけどよく考えるとすげえ。 で、水分と固形物を分けて捨てるのも良い発想だと思うんだよ。ただ、水分を捨てるのだけは生殖器のとこ使うじゃん。あれがなんか違和感あるの。 そんなうまく出来てんのに、水分の排泄はそこ使うの?っていう違和感。わかんないかな。 尿は不要な水分捨てる、浸透圧の調節とかの機能がある。 それならそれ用のとこがあってもいいのに、そして固形物の便はケツから出るのにさ。生殖器から出んの?って思うわけ。 生殖器の中で管が分かれてんのは知ってる。でもどっちかにまとめるなら機能的にケツのほうじゃね? なんか動物の身体ってうまくできてん
漫画、ゲーム原作のアニメって、作画崩壊してない、話も原作に忠実なのになーんか面白くない奴があるんだよね。 なんでだ?って思ってたら、もしかしたら「カメラアングルとかの演出」が原因の1つなのかもしれないと気づいた。 例えば推理ゲームや日常漫画系、またはバトル要素がない漫画が原作だと、アニメ化する時工夫しないとただキャラが話してるだけの地味な絵面になってしまう…気がする。それだとただキャラの口だけが動いて、声が流れてくるだけの紙芝居となり、見てる側としてはすごい退屈に感じる。しかもそれが30分続く…。そんで「原作だけでいいや」みたいになる。 その分会話が多くても、地味な絵面になり易くても演出が凝ってると凄い面白く感じる。例えば化物語なんかはただ会話してるシーンが非常に多いけど、画面の演出やカメラアングルが飽きさせないような作りになってるから退屈せずに見ることができる。後遊戯王もカード効果の説明
深夜アニメは低俗で、猥雑で、品性下劣だ。普通の人間は深夜アニメに興味など持たない。 存在すら知らない人の方も相当数存在するだろう。 低俗で、猥雑で、品性下劣な存在に幻惑され外道に身をやつした人間もいる。これを書いている人がそうだ。 低俗さ、猥雑さ、品性下劣さがそれぞれ太い手綱となり、筆者を縛り続けている。それらの桎梏から脱することはもはやできない。 結局深夜アニメを見るということは、本質的には違法薬物の乱用と何ら変わらない。 岡田尊司が「アニメ・マンガ・ゲームなどは麻薬である」と自著『脳内汚染』で断じたが、氏の指摘は正鵠を得ていたのだ。 小中高校生時代、親や教師から「世の中には知らない方が幸せなことがある」と言われていた。 しかし小中高校生時代は無知蒙昧なのは世の常。無知蒙昧な筆者は、知識量の多寡と幸福度は比例すると無邪気に思いこんでいた。 確かに知識量が多ければ、学歴獲得競争で優位に立つ
例えば愛液をドライパウダー化してもいいが その時には戻すための液剤として同少女の尿を必要としたい それぐらい望んだっていいじゃないか 私は何年も何十年も我慢してきたのだ まだこれから死ぬまで我慢をし続ける だからこれぐらい望んだっていいじゃないか 私が健康な美少女になったら増田のチンポの性欲処理ぐらいしてあげるのに、
人間の体には不思議な力が巡っている。 俗に気とかオーラとかチャクラなんて呼ばれて、漫画やアニメで日夜研究が盛んな分野だ。 だいたい共通して、感情の高まりに比例した力を発生させることができる。 強いものでは星や銀河系くらい破壊できそうである。 さて、ドラゴンボールの言葉を借りるなら、「気」というものをコントロールすることで「かめはめ波」が打てるらしい。 さっそくやってみた。 自律訓練法では「右手が重くなる」と念じることで本当に右手が重くなるらしい。 これは右手に気が集まることを意味している。 私は瞑想して、体中のどこが一番気を集めやすいか探ることにした。 頭のてっぺんから始まり、目、鼻、口、と隅々まで試した。 私の場合、やはり手のひらが一番気をためやすいように感じた。 あとはこの気を発光するレベルまで高め、質量を持った何かに変換して打ち込むだけだ。 私は再び瞑想した。 いつだって答えは自分の
最近海外出張が多くなって、ホテルでテレビを見ているとCMにずいぶん違いがあると気付かされる。 日本と海外って言っちゃうと主語がでけえって言われちゃうから、日本とアメリカね。ハワイが多いんだけど。 どっちのCMがいいとかじゃなくて、差があるなって話。 まず日本のCMは「かぞえ唄」「おぼえ歌」的なものが非常に多い。今やってる代表例だと、「ソニー損保、フー!!」とかちょっと前のだと「リボンブラ」とか。リズムと言うか音曲に合わせて商品の魅力を伝えるもの。 一方アメリカのCMはそういうの少ない。敢えて日本のCMでいうと「ダイソン」や「トリバゴ」のが近い。BGMはないか、あるいは最低限で、商品解説はあくまで普通の喋り。プレゼンテーションに近い。 日本のCMは、BGMがないと駄目かのような強迫観念がある。それと効果音が非常に大きい。でも、これらはなくてもいけるんだなーとハワイで思った。一方アメリカに多い
『ズートピア』はオーウェルの小説『動物農場』のディズニー流のアップデートである。舞台こそ農場という本来動物がいるであろう場所から都市、街に移されて、動物たちの文明化もはるかに進んでいる。また、田舎と都会という多層的な背景を採用し、人間社会の複雑さがさらに反映され、戯画化されている。戯画化で思い出したが、古くから動物を擬人化させて描かれた物語は数多くあり、日本でも代表的なのはその名の通り、『鳥獣戯画』であろう。その中でも『動物農場』がモチーフとされていると断定できるのは、こと権力の逆転が物語の節目として描かれているところだ。さらに、『動物農場』の結末が、「動物主義」という思想を掲げながら搾取的な社会構造が生み出されたのは、人間とほとんど見分けがつかない"2本足で立って歩く豚"であることを考えると、もはや『ズートピア』は『動物農場』の続編的な作品ではないのかと思えるほどだ。 しかし、私が主に取
つくづく、ズートピアのジュディは自分の人生を生きていない、あの物語の主人公じゃない、っていう印象で、それがあの映画の制作課程のgdgdによるものだと考えたら納得がいく。 最初に提示されたテーマである、ウサギの新米警官が不利な環境で頑張る、ってのは実質あんまり生きてないよね。 物語の大部分が肉食動物=マイノリティ、草食動物=マジョリティ、だから。最初のジュディの部分がどうも浮いてる。 いっそ警察も最初から(武器を使うから体の大きさは関係ないとして、)草食動物オンリーにして、エンディングをキツネ初の警察官の誕生で締める方が話として綺麗なような… 後付けなのはジュディだけじゃなく羊のベルウェザーもなのかな。 ジュディのトークンバニーとベルウェザーの髪モフモフって、あの世界の差別被差別構造を分かりにくくしている二大要因だから、 本来対話して理解し合うべき二人がスルーで終ったのも後付けだからと考える
努力すれば夢はかなう、誰でも何にでもなれる、 差別や偏見と戦いマイノリティだって自由に自分を表現していいんだ こんなにそれらに配慮した内容が盛り込まれている!いった旨のRTを連日沢山見るようになりました 主人公の隣人は同性愛カップルかもしれないとか ポップスターのツノはオスのものでは?とか 小さくてかわいいウサギは警察官になれないのか?いやそんな事はない! 決めつけてはいけない!差別はよくない!だって努力すれば夢は叶うのだから! といった主旨をどうこう言うつもりはまったくない 実際映像もすごかったしすごくいい映画だと思う だがなぜそんな中で、なぜ『肉を食べること』は悪としこれを排除したのだろうか そこがずっとひっかかっていて、素直に良い映画だった!と言えなくなっている (世界観の設定上やストーリーの進行上そうせざるを得ないのは理解できるのだけれど) 誰だって望んだものになれる!と謳っておい
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