この論文で、イスラーム研究業界が総出で主張して大規模予算を取る根拠となった「イスラーム復興」論は、論理のすり替えで成り立っているから分析概念として成り立たないよね、と書いたところ、元締め教授から公衆の面前でバンバン机叩いて恫喝され… https://t.co/VrKRdxr3lx
⇒中東について知っておくべきほんのささいな10のこと - GIGAZINE 4:シーア派というのは、キリスト教でいうカトリックのようなもの 彼らは強力な聖職者のもと、教義を忠実に実行しようとしています。対してスンナ派はプロテスタントのようなもの。彼らは、聖職者に対してよりも、神自身との、より直接の関係をたもとうとしています。 ぁぁなんつうか これですべてわかるわけではないけど。よい本ですよ。 イスラーム文化—その根柢にあるもの: 井筒 俊彦: Amazon.co.jp 5:イランの人々はアラブ民族ではなく、ペルシア民族 ぁぁなんつうか ⇒http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Iran_peoples.jpg 6:アラブ民族もセム人 セム人=ユダヤ人という認識がありますが、もともと「セム」と言う言葉は「セム語圏の人」という意味を持って
かつて一読はしたが、「文藝春秋」とは異なり、74年の「諸君」はあまり図書館で保管されていないので、こうして30年以上も経って復刻されて再読すると感慨深い。この歳になって読み直してみると(つまり当時の筆者らと同年くらいの歳)、書き様がけっこう荒っぽいし不用な修辞も多く見られる。はたしてこれが「中学生でもわかる」本だろうかと少し考えて、しかし生意気だった自分の中学生時代を思えば、小利口な中学生なら十分読めるだろう。さて、ここでためらうのだが、本書は、冷静に評価すれば、トンデモ本であろう。 私は、山本七平の心酔者であり、30年以上もイザヤ・ベンダサンの追っかけ読者でもあった。両者の関係についてはここでは触れない(なのであまりべたなツッコミもやめてくださいね)が、二者が同じテーマでしかもほぼ同時期に書いたものを並べてみると、考え方はさすがに同じだが、究極の部分を見つめる視線に差を感じる。単純に言え
これである。 はてなブックマーク - Yahoo!ニュース - 時事通信 - イスラムは「邪悪」と発言=ローマ法王発言に怒り広がる うっかり報道を真に受けて[これはひどい]といってしまったのだが、ブクマでも指摘にあるようにどうも様子がおかしい。 そして、原文をのぞいてみたところ、 CNN.com - Pope: Conversion by violence not of God - Sep 12, 2006 どうやら問題はこの「要約報道」にあったようなのである。 ローマ法王ベネディクト16世が、イスラム教が本質的に暴力を容認する宗教であるかのような発言をし、イスラム諸国から怒りの声が相次いでいる。(略) ローマ法王は12日、訪問先の母国ドイツの大学で行った講義で、東ローマ帝国皇帝によるイスラム批判に触れ、「(イスラム教開祖の)預言者ムハンマドが新たにもたらしたものを見せてほしい。それは邪悪
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く