→紀伊國屋書店で購入 「修道士らしからぬ修道士」 サンフランシスコにいたるまで、西洋ではフランシス、フランシスコなどの名前は好まれているが、その由来はアッシジのジョバンニ・ディ・ベルナルドーネという名前の息子を、商人だった父親がフランチェスコ(フランス人)と呼んだことに始まる。これは当時は「変わった、稀な名」だったらしい(p.22)。 この息子はやがて成長すると、騎士になろうとするが、途中で回心し、「らい施薬院を訪れ」、患者の病んだ手に「接吻し、施しを行い、自身を抱擁してもらう」(p.47)。聖書に書かれてあるイエスの命令に従って、かつての使徒と同じように行動することに決めたのである。 彼は「使徒の仲間となって、まだ何の仕組みもないまま師イエスと歩んでいた彼らといっしょに時を過ごした」(p.82)のだった。フランチェスコが仲間として迎える基準としたのは、「誰だろうと真にキリスト教徒となるた